来てくださりありがとうございます。



統一教会には、大きく4つの罪があると言われています(違っていたらコメントをください)。


原罪(最初の人間から受け継いだ罪)

自犯罪(自分が犯した罪)

連帯罪(自分が属する組織や集団が犯した罪)

遺伝罪(直系の先祖から受け継いだ罪)


また、罪の清算という意味でよく使われる「蕩減」という概念があります。


統一教会では、「罪」とは、自分以外の人の罪であっても、背負ったり、清算したりすることができると考えています。


私がもつ人生哲学や死生観では、自分の罪は、自分しか清算できないと考えています。


ただし、霊界や魂の法則や性質によって、まるで蕩減であるかのように見えたり、連帯罪や、遺伝罪のようにみえたりする現象が起きている、と考えています。


私が考える、霊界や魂の法則や性質とは…


①魂は、自身の罪の清算と、霊的成長を目的として存在する

②自身の罪の清算と霊的成長を成すためにより適切な環境(地上界)を、自分、もしくはより高次の存在が選んで生まれてくる

③生まれてくるコミュニティを自分で選ぶ際は、自分と相対基準が合うコミュニティを選ぶ場合が多い

④肉体をもっている間も、自分と相対基準が合うコミュニティに入りやすい


「罪」の定義(我流)もしておきます。


私が思う「罪」とは、「霊的未熟さによって起こした行動」です。


罪の清算とは、「自分が撒いた種(行動)によって苦しみを感じること」です。


それでは、4つの罪について考えていきますが、原罪については「原罪を否定する」というタイトルで詳しく書いていますので、そちらをご覧頂けたらと思います。


まずは連帯罪についてです。


そもそも連帯罪とは何か、ということですが、今、世間から統一教会が叩かれていることが、まさに連帯罪を表しているのだろうと思います。


「自分が悪いことをしたかどうかに関係なく、自分が所属するコミュニティが周りから悪い印象をもたれると、自分も同じように周りから悪い印象をもたれる」


というのが、連帯罪だと思います。


しかし、先程も述べたように、罪とは、自分自身の行動によって引き起こされるものです。そして、罪の清算は自分にしかできません。


コミュニティの罪が一個人の罪になることはありません。逆もしかりです。コミュニティが罪を清算したように見えたとて、それは個人の罪の清算にはなりません。逆もしかりです。


ではなぜ、連帯罪ともとれる現象がおこるのでしょうか。


肉体をもっていても、魂は相対基準が合う魂と引き合います。コミュニティはそのようにできあがります。


つまり、統一教会バッシングで苦しんでいる人は、似たような罪をもった人達が相対基準を合わせて集まった状態で、各々の罪の清算をしているのだと私は考えます。


清算される罪がない人ならば、恐らく、バッシングによって苦しみを感じることはないのだと思います。私の理論が正しければ、ですが…


ただし、罪の清算とは別の理由で苦しむ人もいます。それは、霊的成長をしようとしている人です。


清算される罪がないにも関わらず、統一教会バッシングで心を痛めている人は、恐らく、霊的に成長しているときなのだと思います。


まとめます。


連帯罪とは

・自分が悪いことをしていないのにコミュニティのせいで悪く見られる現象のこと

・似たような罪をもった人が、そのコミュニティに集まっていたために起こる



連帯罪だけでこの長さになるとは思いませんでした。


続きは次回にさせて頂きます。


ここまでお付き合い頂きありがとうございました。





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