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「あなたは原罪がない神の子」


そう言われて育ちました。


統一教会の原罪の設定は、おおよそ、このようなものだったと思います。


・アダムとエバの霊的堕落+肉的堕落によってできた

・原罪清算をするためには、原罪がないメシアが必要である

・メシアが誕生するためには信仰基台や実体基台などの条件をクリアする必要がある

・メシアによって祝福された夫婦から生まれる子どもには原罪がない

・原罪がない祝福2世と原罪がある一般人が交わったら原罪がまた生まれる

・一方で、真のご父母が許可したら、祝福2世が一般人と結婚しても無原罪を引き継げる(恩赦制度)


私には結局、「原罪」がなんなのかわかりませんでした。


遺伝情報に混ざるような物質的なものであるとしたら、条件云々でどうこうできるものではないと思います。


霊的なものだとしたら、肉的な「血統」で引き継げるものではないと思います。


仮に、霊的なものと物質的なものを関連付ける唯一の方法が性行為だとしたら、恩赦という方法が成立するはずがありません。


私は原罪の設定に矛盾を感じてしまったため、信じることができなくなりました。


統一教会が設定する「原罪」はもう信じていませんが、自分は「原罪」という言葉に勝手に意味付けをしました。


【原罪】

=悪(霊的未熟さ)の方向に向かおうとする意志。


これ、2世だろうがなんだろうがもってるんですよね。


でも、これを減らそうと頑張っているのが良心基準の高い人だと思うのです。


良心基準の高い夫婦が子育てをしたら、子どもは原罪が少ない大人になりそうじゃないですか?


祝福2世とは、本当はそういう存在だったんじゃないかと思います。


祝福という儀式のもとで生まれたから特別なのではありません。


原理やみことばなどの真理(の一部)に触れて霊的水準が高くなった夫婦に、生まれたときから接することができるゆえに、霊的水準を高め易い立場にあった、というのが、一般の人との違いだったのだと、私は考えます。



私は、純潔を守ってきた祝福2世ですが、自分に原罪があると思っています。

原罪を減らしていけるように、日々精進してまいります。


ここまで読んで頂きありがとうございました。







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