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「イエス様は天国にいるのよ」


小学生のときに母親からそう言われて思ったことがあります。


(地獄で苦しんでいる人がいるのに平気で天国でいられるイエス様は偽善者だろうか)


「アボジが亡くなったら、イエス様よりももっと上の霊界にいかれるのよ」


(…ん?アボジも?)


そんな疑問があったからでしょうか。私は統一教会的な霊界の話を、心のどこかで疑っていました。


私がこれから話す霊界の話は、スピリチュアリズムからの影響が大きいですが、それ以外からも仕入れた様々な情報から、納得できたものを組み合わせて出来上がった思想です。


情報のソースはどこか、納得できる根拠は何かを事細かく説明するのは流石に大変なので、ここでは端折らせてください。


また、そもそも大して根拠がなくても「信じる」のが信仰なので、これが私の信仰観なのだと、サラッと読んでいただければと思います。


・霊界とは、数えきれない程の階層がある

・魂の相対基準が合う階層で生活するようになる

・生活する階層は自分で決める

・魂と相対できる階層以外の階層に行くこともできるが、居心地が悪いため、長く居続けることができない

・魂は霊界でも成長することができる

・同じ階層に留まるのではなく、成長に応じて階層は上がっていく

・霊界ではほしいモノが何でも出てくる

・モノをほしがるのは霊的水準が低めの魂なので、霊界が上に行くほどモノは必要なくなる

・「祝福を受けた相手」と永遠に一緒にいるのではなく、「心から愛し合い、かつ、同じ霊的水準でいられる魂」と永遠に一緒にいる

・輪廻転生はある



霊界では、構造上、霊的水準が合わない魂と長期的に関わることが難しくなっています。


その点地上では、霊的水準が全く合わない相手と、嫌でも関わらないといけない状況が作られます。


だから、「経験値」が上がりやすいのです。


私は、経験値を上げること、即ち、霊的成長をし続けることが、魂が存在する意味だと思っています。


地上の人間が「天国」だと呼んでいる場所は、「自分の居心地がいい場所」つまり、「自分の魂と相対できる階層の霊界」だと自分は思っています。


また、統一教会の人は、地上天国という言葉をよく使っています。


これを、

「ご父母様をメシアとして全世界の人が認めた世界」

「全世界の人が祝福を受けた世界」

と認識している食口が一定数いるようですが、私はそのように思いません。


地上天国とは、自分の居心地がいい場所のことだと思います。


ただし、霊的水準が高くなればなるほど、周りで苦しんでいる人がいたら、居心地は悪くなります。


霊的水準が高くなればなるほど、視野が広くなり、苦しんでいる人が目に入りやすくなります。


だから、霊的水準が高い人ほど、地上天国に入るのは最後だと言えると思います。


「もう地上天国はできている」

「いつでも地上天国に入れる」


今の現実世界を見て、そんな風には考えたくないですね。


ここまで読んでくださりありがとうございます。






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