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幼いころから、「人の為に生きなさい」と言われてきました。
そのためか、自分のために何かをする、というのが、悪いことのように思っていました。
何かを欲しいと思う気持ちを否定して、何かをしたいという気持ちを否定して、自分が幸せになりたいと思う事すら、思ってはいけないことだと思っていました。
一つ、強調したいのは、決してそれは、親から強要されたことではないということです。
私自身が生まれつきもっていた特性によって、そのような歪んだ考え方をするようになったのだと自分は思っています。
言われたことをそのまま受け取る。
言われたことをかなり極端に解釈してしまう。
言われたことをずっと覚えている。
といった特性が私にはあるので、その特性の影響が大きいと思います。
ですから「親のせいでこうなった」「教義のせいでこうなった」という気はサラサラありません。
「幸せになりたい」と思うようになったのは、仕事のことで悩んだのがキッカケです。
社会人になって初めて就いた仕事は、ビックリするほど自分に合っていない仕事でした。
仕事については、学生の時に神様と思われる存在から啓示を受けて、その啓示に沿って仕事を選んだつもりでした。
だから、
「神様が、この職場で自分に期待する何かがあるはず」
「この仕事を通して人の為に生きてほしいと思っているはず」
と思い込み、3年間心をすり減らしながら働きました。
上手くやれない
同僚に迷惑を掛ける
楽しいと思えない
休みの日に心が休まらない
まだ慣れていないだけ、いつかできるようになるはず、と思い続けて、3年目に初めて、私は自分に「今、自分は幸せ?」と問いかけました。
幸せではない
幸せになりたい
人の為になんて、辛くて生きられない
どんなに辛くても転職しようとは一ミリも考えたことがなかったのに、「自分は幸せになりたいのだ」と自覚した途端、転職することを決めました。
最低限生きていけるお金があればそれでいい
できるだけ楽な仕事がしたい
そんな気持ちで転職したので、転職したてのときは、ほとんどやる気はありませんでした。
自分から常勤を断ってパート勤務になり、午前中は好きなことをして過ごして、昼から出勤して、定時でピッタリ帰り(前職は残業が当たり前だった)、持ち帰り仕事もない(前職は持ち帰り仕事が当たり前だった)。
人生イージーモードでした。
でも、そんな生活は一ヶ月で飽きました。
私は専門職なので、転職先では実務経験があることがとても重宝されました。
そして、新しくできたばかりの会社ということもあり、自分以外で実務経験がある職員がほとんどいませんでした。
そのような職場環境だったので、
「もっとこうしたらいいのに」
「自分だったらこうするのに」
「こうした方が絶対〇〇の為になるのに」
そんな思いが次から次へと、自然と溢れ出るようになり、居ても立っても居られなくなりました。
パートの立場でそれらを言う訳にはいかないので、私はパートからすぐに常勤になり、上司からレアキャラ扱いされるレベルでバリバリと働くようになりました。
私は今、
自分のやりたいことをやる
=人の為に生きる
という状態になっています。
この経験から悟ったのは、「為に生きたい」という気持ちは、胸の内側から自然と湧き出てくるものだ、ということです。それは、抑えようとしても、抑えきれないほどの思いなのです。
「為に生きる」とはこういうことか、と自分は感じています。
だから、「為に生きなさい」と命令形になるのも、「為に生きなければならない」と義務感、使命感を感じてしまうのも、本当の意味で「為に生きる」ことになっていないのではないかと私は考えます。
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