ブログに来ていただいてありがとうございます。

前回お母様について書いたので、今回はお父様(以下アボジ)について思うことを書きたいと思います。

自分は「原罪」というものが存在しないと思っているので、文鮮明さんこと、アボジのことを、「原罪清算ができる人」だとは思っていません。

そんな自分が、アボジについてどのように捉えているかと言うと、ほとんどお母様について思うことと変わりません。

「人類のモデルとなる、理想の夫、理想の父、理想の祖父」であることが、天から与えられた使命だったのだと思います。

理想とは、どこまでも霊的水準が高く、人格者であるということです。

お母様との違いは、「人格者である」ということが、できるだけ多くの人に伝わり、認められる必要があった、ということです。

なぜなら、モデルとなるべき人が、「近所のいいお父さん」レベルの認知度だと、真似のしようがないからです。

モデルとなることで、他の人の霊的水準を上げようと思うなら、まずは、世界レベルで、多くの人に、とにかく存在と善なる行いを知ってもらう必要がありました。

教会の公式見解で、統一教会を作った理由が、「既存のキリスト教会がアボジを受け入れなかったため、その蕩減を復帰するために、宗教組織としての統一教会を作った(本来は宗教組織を作りたくなかった)」と言っています。しかし、私は蕩減法則を信じていませんので、蕩減という考え方を無視して、宗教組織を作った理由を理解しています。

先程、「アボジは、人格者であるということができるだけ多くの人に伝わり、認められる必要があった」と書きましたが、まさに、それが簡単にできる方法が、既存のキリスト教会から認められることだったのだと思います。

しかし、それができなかったため、人格者であると、多くの他者に認められるような活動が必要だったのではないかと思っています。

少し話がずれますが、「お母様の条件をアボジが代わりに果たした」(正確な言い回しは忘れましたが…)といったニュアンスの内容が、みことばであったと思います。それについて、自分なりに解釈したことがあります。

お母様も、「人格者であり、それがより多くの他者から認められる」ということが、天が与えた使命だったのだと、自分は思っています。

しかし、宗教としての形を確立して、「教祖が言ったことが絶対」という雰囲気が出来上がっていたために、お母様が事実上何を成した人なのか、どんな人なのかがわかっていなくても、「教祖(神様)に選ばれた女性」という一点だけで、無条件にお母様を信じる姿勢が、食口達にできていたのだと思います。

そのような雰囲気、食口達の姿勢を作ったことで、お母様の「人格者であり、それがより多くの他者から認められる」という使命が、一時的に免除されたというのが、上記の、みことばの意味だと思っています。

話を戻します。
それでは、アボジは、人格者だったのでしょうか?本当に世界平和のために活動されていたのでしょうか?理想の夫、理想の父、理想の祖父になれていたのでしょうか?

話を戻したところですが、思ったより長くなりそうなので、次回書こうと思います。

ここまでお付き合い頂きありがとうございました。

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