お母様について質問を受けましたので、その回答のつもりで書いています。


自分がもつ人生哲学の大前提として、聖書や、原理に出てくる「原罪」は、存在しないと思っています。


ですから、統一教会が言う「メシア」のことを、「原罪清算ができる者」だとは思っておりません。


それでは自分にとって、メシア、もしくは真のご父母様が何なのか、ということなのですが、私は彼らのことを「人類の理想家庭のモデルを築くべき者達」だと捉えています。


つまり、韓鶴子さんこと、お母様についても、「理想の妻であり、理想の母親であり、理想の祖母」であるべき人だと捉えています。


理想とは何なのかと言いますと、「どこまでも霊的水準が高い人」すなわち「人格者」のことです。


人格者だと言える女性、世界平和に貢献した女性、歴史上に名を残して、後世に多大な影響を与えた女性は、今も昔も沢山おられます。


彼女らとお母様では、役割が違います。お母様に天が求めた役割は、「人格者である妻のモデルであること」と「人格者である母親のモデルであること」だったのだと思います。


モデルとは、真似したいと思う良い結果を残した実例を示してくれる存在であり、実例が真似できるように、抽象的ではなく、リアルな姿を見せてくれる存在だと思っています。


私が考える「真のお母様」とはそのような方なので、今の韓鶴子さんのことを、私は、「真のお母様」だと呼ぶことはできません。


世界平和のために行動するよりもまず、ご子女様との関係を修復してくださるように願っております。


「真のお母様」と呼べないお母様の為に、今、私ができることは何もありません。


私にできることを敷いて言うなら、お母様のことを、ご子女様の存在を抜きにして、「真のお母様」だと過剰に祀り上げないことでしょうか。


もし、お母様が「真のお母様」の役割を全うされたなら、私が「真のお母様」の為に今すぐにでもできることは、

「真のお母様以外の人の為に生きること」です。


何度も書きますが、「真のお母様」とは、どこまでも霊的水準が高い人です。


どこまでも霊的水準が高い人は、自分の為に何かをしてほしいとは思いません。自分の子どもなら尚更です。


為に生きることが親の願いなら、自分の子どもが、親である自分を蔑ろにしてでも、他人の為に生きる子どもの姿に、親は、喜びを感じるのではないでしょうか。


韓鶴子さんが「真のお母様」であってもなくても、私がすべきことは大して変わりません。ただ、人の為に生きようと思います。


ここまで読んでくださったことに感謝申し上げます。



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