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第20回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
初めて参加してまいりました。

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会場である青山スパイラルホールの前には
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー
=LGBTを象徴する虹色の旗が。
誰として誰を愛するのか、その性的嗜好だけでなく
誰としてどう生きるのか、その多様性についても
語っているであろう多くの映画の中から私が観に行ったのは
「あの頃、僕らは—いま語られるエイズの記憶 / We Were Here」
でした。

まだ私が生まれる前、1981年に
サンフランシスコのゲイ・コミュニティー内で起こった
「奇病」とそれを巡る社会的・政治的な変遷を、
主として当時サンフランシスコで
ゲイとして青春時代を過ごしていた男性達と
病院に勤務していた看護士のインタビューを通して
描いた作品です。

映画は普段からドキュメンタリーを好んで観ますが、
それらの中でもこの作品はドラマティックな演出を
極限まで抑えているのではないかと思っています。
カメラワークや音楽は
上演中に寝る人が出るほどシンプルなものですが、
大切なパートナーや友人を
HIVウイルスによって失ったストーリーが
悲しみとやり切れなさで息を詰まらせた被写体によって
明かされる場面では会場内からすすり泣く声が聞こえました。

数日前には元気だった友達が
今日痩せ衰えてベッドに横たわっている姿を見て、
自分もいつ死ぬか分からないと怯えていた人々、また
その問題に対して、バスハウスなど
ゲイの人々が集まる場所を
閉鎖しようとしたり、彼らに強制的に
HIV検査を受けさせようとする法案を審議するような
レーガンを始めとする何人かの政治家、
また当時はゲイ・コミュニティーとは敵対し合っていた
女性権利団体やレズビアンの団体による
HIV感染者・発症者への強い支援など、
当時の悲しく激しい状況を
サバイバー達が非常にクリアな言葉で語っているのを見て
胸が苦しくなって鳥肌が立ちました。
当時の貴重な映像や写真も観る事ができました。

上演後、NPO法人ぷれいす東京理事/相談員の生島嗣さんと
NPO法人ジャンププラス代表の長谷川博史さん、そして
非営利団体akta代表のマダム・ボンジュール ジャンジさんによる
トークショーがありました。
HIVに感染している当事者やその家族、パートナーを
支える各団体の活動状況を知る事ができて
とても有意義な時間でした。

小学生高学年の時、自分の好きなトピックを選んで
朝の会で発表する機会があったのですが
その時私はHIVとAIDSについて話しました。
感染方法や国内患者の人口などごくごく基本的な事柄でしたが、
当時と今で変わっているであろう、そして
これからも変わり続けるであろうAIDSの状況に
いつでも気づいていたいと思いました。

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昨日は自転車で会場まで向かったので割と薄着です。
Helmut LangのくたびれたコットンTシャツに
古着のひらひらチョッキなんかを合わせて
レザージャケットを羽織ってみました。
パンツはAnn Demeulemeester、
靴は2年前にいただいたVALENTINO。

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いつ履いても痛いのはもう靴の形の問題なのですかね。