芒種の死は、自殺が多いと言う。

夏至を迎え、芒種の30度の夏、


従兄弟の和幸君が亡くなった。

姉の香りィと、二人は、兄弟で、和幸君は不慮の死と片付けられた。


和幸君と香りィは仲が良く、和幸君は、姉の香りィと、同じホテルで同時婚。

東京の芦田淳ショップで買ったの金色のドレスを着て出席したのを覚えている。会場に、嫌に警官が多いなと思った記憶も新らしい。



二人は、結婚式後も、父親の大工の棟梁に作ってもらった同じ造りの

2件、の一戸建て。同じ敷地に並べられて作られた二つの一戸建てにそれぞれ住み、仲良く新婚生活を送った。

棟梁の父親は、、始め賃貸と言っていたが、二人から家賃は払われる事は無かった。

二人は、2軒続き。に、

仲良く、住み、新婚生活を送っていたと思っていたのだが、

実家に帰る時も二人のご家族皆一緒。

なのに

、何故。?和幸君の不慮の死。?



「和幸も、大工の跡継ぎがいいのでは。」

と、親戚は勧めたが、

母親が、日雇いの大工よりサラリーマン会社員が良いと

名前もよく分からない会社に就職させた。


可愛い顔立ちの、運動神経も良い少年だったが

、近所の高校にサッカー推薦入学を勧められた。が、

母親が、サッカーをして、足を怪我し何かあったら大変とサッカー部推薦を辞退。


またサッカー部以外の他の運動部も、夜6時過ぎまで練習があると、深い闇の中、和幸君が事故にあったら大変と、

他の運動部も辞退。

和幸君が進学した高校自体は、インターハイ高校で有名で、どの運動部も軒並み練習は毎日、6時7時8時過ぎ。



両親が、運動部顧問担当の教師と話し会い

運動部は、諦め、帰宅部に進学した。



家は、大工で、棟梁で毎日酒盛りで

その学校の運動部顧問担当教師も、

和幸君が卒業後も、度々、訪れ、和幸君の家で酒盛りをして、

和幸君と香りィの結婚式にも呼ばれていた。



「和幸君は、もてますね。」

その先生が、仰っていた様に

和幸君は、良くもて、知らない女の子が、しょっちゅう和幸君の家を訪ずれ


時にはリスカ騒ぎもあり

救急車も度々出動していたと言う。




結婚式は、近所の同級生の幼稚園の保母さんと無難に済ませ、

姉の香りィは、どうも近親婚が怪しい。



あまり子供に恵まれないと聞いていたが

告別式に参列したら

変な子供が、挨拶し、息子だと言う。

おいおい、子供が産まれたら報告しろよ。

親戚だろう。


と思ったのだが、何となく解せなく、

親戚が遠縁になった。



姉の香りィが、近親婚じゃないかと言う噂は

親戚中に流れ、

何度も親戚が訪ずれ、結婚を諦める様に、説得したが、

諦らめず、名前を多少変えて、結婚してしまった。



よく聞いたら、親の通うバーの姐ちゃんが、勝手に作った子供で

香りィが、可哀想と哀れんで結婚したらしい。



「お父さん、お父さん」

と、香りィと香りィの婿の両方が、同時に言うのだが、

どうも怪しい。

区別が無い。こんなんで良いのだろうか。



後から、10年経ち、血族結婚取り締まりに会い

家族全員3日留置所に入り、婚姻届け無効の簡易裁判を受けたと。

「これを持って、昭和九代は終わります。」

と家庭裁判所長官息吹さんの声が鳴り響き、閉廷。

後から、幸ちゃんと言う、大工の棟梁

香りィ、和幸の父親が、

「内はいつから、昭和だったんだい。?」

と疑問を、近くの大工、大正棟梁吉川さんにぶつけ

「きっと昨日からだよ。」

と当たり障りの無い返事を貰い

附に解せぬと言う感じで、キセルを吉川さんに渡し

自分は、三つ葉煙草に火を付けた。

もう昭和は、ずっと遠い。


家庭裁判所は、第二次世界大戦敗戦赤の後遺症で、

長官は本物。

最高裁判所判事長官が、網走裁判所死刑執行囚がなっていたとの事。

宮家の人が、小型セスナ機を北海道網走と裁判所の往復行ったり来たりして

忙しく死刑囚を最高裁判所長官に仕立て上げていた。


第二次世界大戦敗戦の公やけの事実である。










従兄弟に、もう一人。

かなり年をとっていて、これ又甘いマスクの信ちゃんと言う男の人が、いるのだが

年を取り、頭が剥げてしまい

また、お見合いをしたのだが、

「若い時に、変な奇病をしてしまい。」

と叔母の母親が、口を滑らせ、

全て断られ、母親の年金で細々と生活している。


ご自身は、パチンコが趣味で、休日は殆どパチンコ。又、就職氷河期の世代で、

ずっと男性なのだが、パート勤務。

父親は、一流企業に勤めていたが、

福利厚生が充実しており

定年後は、一流企業が社員の為に作ってくれたスパやプール、ジム、エアロビシステムに家族皆で通い

365日パラダイスと言うような、充実した定年後生活であった。

しかし、父親が、脳梗塞で他界。

母親も、自宅と同じように居住できる老人ホームに入所してしまい、

彼は一人で、パチンコと共に暮らしていたが、

お金が無いと、母親の入所している老人ホームに

お金の催促に行き、母親を困らせている。



最近は、早々と早期年金をもらい、バイトの会社を退職。自宅で悠々自適。

独身生活を送っている。


妹に笑子と言う世話焼き女房の様な人がいるが、

若い時、畳屋との駆け落ち婚を、親族全員から阻止され、イヤーッと同仕様もない目立たない資産家の男性と、お見合い結婚、で半ばヤケで結婚し、


しかし、嫁ぎ先の姑と問題を起こし、

母屋の離れに、家族四人で住み

母屋には、週に何回かお風呂をもらう時にだけ訪ずれ

姑とは、今も犬猿の仲である。



母屋の離れを訪ずれた事があるが、

耕運機か何かを入れる納戸、物置小屋にしていたらしく、とても狭く、この小さな小屋に、家族四人、

旦那も入るが、今も、住んでいるが、

とても悲しい。

嫁姑問題は、永遠のテーマである。





又、従兄弟に真雪さんと言う超美人が居て、ヤングマガジンの表紙モデルをしたり

ミス学園に選ばれはぐったり、何かと話題の人で

宝塚歌劇団にも招待されたり

本人が、寺出身所以断わり

何かと美人で有名だったのですが、東京のオモチャメーカーに就職し

定年迄勤めあげ、今度帰郷するそうです。


「とうとう、独りで生きる破目になった。」

と、笑いますが、美人は得だね。



暴走族で鳴らした妹が居るのですが、故あって格式高いお寺に嫁ぎ、1男一女を儲けたのですが、

神社寺合体の結婚式は、

暴風雨に見舞われ、神社縁りの一本杉が落雷で倒れ、

私も結婚式場の会場に行く時、突然靴紐が、切れ、人によってはヒールの踵が折れ、

大凶なのだが、親戚身内なので、出席しない訳にも行かず、

落雷の中、結婚式に参列し、申しわけ無いが、

落雷が酷く、収まる気配が無かったので、結婚式場を早々に退出してしまった。花嫁は、ディオールのクチュールの時価数億円の花嫁衣装。パリに、何度も通い、向こうの親御さんが、新調してくれたらしい。バカラの宝冠ティアラのようなものを被り、ギラギラする結婚指輪は、南アフリカ原産。エメラルドの秘宝とか名前があるそうだ。

 その後、友人から、スイス銀行の人が訪ずれ、12億円、10年管理費の小切手を、お爺さんの住職さんが、切ったのを見たとか。

向こうの親御さんは、一人息子の結婚式が、余程嬉しかったのが、ウェディングドレス、結婚式場には金に糸目をつけなかったらしい。

何故か、結婚式場の披露宴では、花嫁は、腰紐ベルトをつけ、簡単な下着の感じで、廊下を走り回り

トイレは満員で、嫌な予感は多分にあった。

落雷は、止むことを知らず、地響きのような稲妻が部屋にも、窓ガラスを割って入り、途中退席の人が相次いだ。外では、暴走族上がりの花嫁を一目見ようと

東京からホストが大勢駆けつけ、

披露宴式場を、落雷の中囲んだ。

後で、花嫁に、聞いたら、結婚式に招待しようと

行きつけのホストクラブのホスト数百人に金をばら撒き、結婚式場の披露宴に呼んだと言う。警官が大勢、結婚式場を囲んでいた。猫も沢山、キャーキャー鳴いていた。


その後、結婚式の水切り、引き出物が開かないと言う緊急事態が、続出し、てんやわんやで忙がしかった。

結婚式後のハネムーンは、トルコ、中東、エジプトを優雅に3、4週間かけて周り、夫婦仲良く、寺を切り盛りしていました。しかし、御住職が、早目に亡くなり、

今は、寺は、閑散としています。


親鸞さんの褌が、あると言う国宝寺で、今は、メロンやスイカが、手伝いに行くと配られ助かります。


親や子供はしょっちゅう、草刈りだ、木切りだと


何かと口実を作っては、参詣していますが、中々重厚なお寺です。



更に従兄弟に、直之君と言う人がいますが、勉強嫌いで、小学校は、殆ど授業のある日は外の山で蜻蛉や蝗取り。

学校には、虫取り網が、常と言う強者で、

又野生児で、川や野で魚取りや鼬捕りで日常を過ごし、365日野生児。

学校の成績も殆ど振るわず、

学校卒業後は、家の家業の農家を手伝ったり


近所の精密機械工場の工員をしたり、

何かとはにかみながら、真面目に朴訥と仕事をこなしていた。


そんな彼にも、お年頃で彼女が出来たが、同棲話しも持ち上がったが、当然却下。


直接結婚話しまで、持ち上がったが、

相手のみてくれが、どうのこうのと全て却下。

とうとう朴訥な人の良い叔父さんになってしまった。

野生児だし、その辺の工員さんだし、

嫁が何でも入れば良いのではないか、まさか本人から「この人と結婚したい。」等と、野生児が連れてくるのだし、ましてや初めての大事件だし、嫁なんて入れば良い、と思ったのだが、世間親戚は、そうは行かず、今だに朴訥で親切な彼は独身である。



姉は、アル中の高校教師と結婚したのだが、

休日もアル中で、突然家族旅行も却下。

彼女が、家族旅行の為に買った大型車を自ら運転し、

亭主は、家でゴロつき。

子供が産まれてからは、殆ど家族旅行はお母さんと子供のみで、健気にこなし、

父親の実家が工務店で、家を新築し

アル中の亭主が何時迄、仕事をこなせるか

定年迄もつかが、もっかの悩みであると話す。


皆良い人だ。



お爺さんお婆さんの遠縁で、江戸時代の家老の姫君と言う人がいたのですが

近所の寺に嫁ぎ、かなり苦労したらしく

「手が皺皺になってしまった。」と言うのが口癖で、

海の近くの寺から、ワカメや昆布の海産物を行商に来て、何やかんやと買い、茶一杯で数時間は喋りまくる強者で、皺クチャの顔の、中にも、目は三角なのだが愛嬌があり

三反田のポリショイサーカス団長さんと、直接の姉に、当たるのですが、仲が悪いです。



家老の娘なのだが、第二次世界大戦後苦労し、その辺に爆弾が落ちたとか

爆弾の破片をアメリカ兵に売ったとか

良く見たら、アメリカ兵は親戚だったとか。

良く聞くと面白い話しが多いのですが、兎に角話しが長い。長い。兎の耳のように長い、長い。

旦那さんの住職は、兎に角喋らない。

喋べった所を見た事が無い人です。



真冬さんと言う人の双子のような姉妹で、モデルのように背の高い千晃さんと言う人がいて、真雪さんの親戚で

京都の親戚の寺に舞妓さん修業をしたいと

時々新幹線で、京都迄行っていたのたのですが、

兎に角お嬢様育ちで。新幹線の乗り降りが怖いと、

いつも大名行列のように長い行列人高りが。遠くからでも

(ああ、千晃さんが、新幹線に乗っているのだな。)

と分かり、

たまたま、京都でその千晃さんの大名行列に出くわしてしまい、手土産の浅草饅頭を預かり、

祇園のお茶屋さん迄同行したのですが、

始めて潜る祇園の暖簾は、格式が高く

お茶屋さんの紐爺ヒモジイと

目が合い、

知っている人で気まずく、

「早く帰りなさい。」

と叱られ、

埒が空かないと、亭々の体で、祇園のお茶屋さんを後にしました。


気まずい思い出です。



更に、舞妓さん修行が一通り終え、

近所のあんちゃんと結婚し、

三つ子をもうけた千晃さんは、

夫の旦那さんの給料二十万円で、

家を新築し、給料の中から16万円35年ローンを組み、

非常に立派な家を建て、

どのように暮らして行くのだろうと

皆案じていたら、

親の寺に寄生して、

旦那さんに婿修行して寺に入ってもらい

細々と生計するのだと言う。

40年親は大変だ。


旦那さんは、因みに、読経は小さな椅子を用意して、

読経する人で、

「最近は、読経は畳でも正座では無く、椅子を使って良いんだね。」

と言ったら親に、叱られた。


サウジアラビア王国で、巡礼のハッジで

50度の猛暑で500人亡くなったと。

砂漠の巡礼は、命がけです。


そろそろ梅雨開けです。




小泉お爺ちゃんと言う人が、いるが、南京生まれの甘いマスクで、第二次世界大戦前日本宮中に、請われ拉致されるように請われ

日本宮中で、隣りの愛人覚羅溥儀さんと子作りに励み

暫く日本宮中を出られず、

何とかやっとこ、ノルマが、達成出来たのか、

日本宮中を開放され

出獄時に、何も悪い事をしていないのだが

「何が欲しい。?お土産に。」

と皇后に聞かれ、

「大工の棟梁。」

愛人覚羅溥儀さんは

「内モンゴル自治区。」

と答え、

それぞれもらったと。

第二次世界大戦前の日本は太っ腹です。


今では、小泉お爺ちゃんは、

「昭和天皇御実父。」

と呼ばれ、特に何も変わった事は、無いのですが、

場所によっては、特上の酒を振る舞われ、悦に浸るそうです。

しかし、昭和天皇御実父と言っても、昭和天皇に会った事は無く、

「宮中は闇だ。」

と言っています。


昭和天皇御実父小泉お爺ちゃんは、その後、エドワード8世一年能の、同じ南京生まれの従兄弟と


近所に日本に住み、

エドワード8世一年能の従兄弟の愛人婿さんの世界的大女優の香蘭を頼まれ、エドワード8世一年能のファミリーと同居しています。


イギリス国王エドワード8世一年能の従兄弟が70歳そこそこで、亡くなってからは、世界的大女優香蘭さんと仮祝言を挙げ、夫婦仲良く暮らしていました。

今は、お墓の中です。



日本宮中に拉致された、南京伊達男には、愛人覚羅溥儀さんの他に、小泉お爺ちゃんの御兄弟、加山雄三、

長谷川和夫、杉良太郎等有名人が多く、

多国籍です。又ベルリン大学外科部教授麻生教授三つ子、清心寺さん住職さんも兼ねる、もご兄弟です。


エドワード8世能一年と言われた人は、オードリーヘップバーンを隠れ蓑として使い、香蘭お祖母ちゃんと仲良いです。

/

香蘭お祖母ちゃんの妹で、エリザベステーラー能をやった人がいて、

シャガールの逃亡先の日本でシャガールもどきの人、

売れなき絵描きと結婚し苦労した人がいたのですが

長生きです。


彼は第二次世界大戦後塗装の仕事をし

ペンキ屋さん

で、水戸の千波湖の夕日を眺め、仕事そっちのけで

絵のデッサンを始終し

雇い主に怒られ

、しかし晩年個展を開き、有名です。



その湖に潜ると5年先に帰れると言う曰くつきの湖があって、戦後の東條英機裁判で、嫌気が差した東條英機さん能のご本人が、飛び込み、

パリの藤田嗣治さん、日本画の大家になった人がいたのですが、

パリで、シャガールさんと出会い連れてきたと言う噂もあり、日本は、今、絵画界の巨匠が集まり、世界の絵画界の注目を集めています。



近所にファミコンで新処を潰したお寺があり、

幼馴染じみなのですが、

何でもゲームに2、3千万円使い、檀家総代に怒られ

アル中になってしまったそうです。

どうしてだろう。

人生色々です。



又、零れ話しですが、その彼を、近所のお坊さんが哀れんで、

CNI、newyork times  誌にインタビュー記事を載せ、

お東さんゲームボーイ王として紹介。

現代の藤原道長として、大々的に広告も載せ、

ゲームボーイ界の革命児として世界的ヒーローになりました。

お金の使い方ですが、在る所には在るものです。