答えの無い事にどう挑む

 

 基礎教育は別として、学者だけでなく政治家、経営者、芸術家、芸人、音楽家、探求し新しいものを・・・産み出す・・・

それが学問なのかと思う。

個人が どう求めるか どう学ぶか 幕末の藩校3千とは別に、日本はいつの時代も立場の別なく、惜しみなく教えたいと思ってくれる ☆師☆ がいてくれる。

 きっと日本人すべての中からプレイヤーを・見い出し・育て・繋いで世に送り出すのが危機管理だと頭では無く、本能で解っているようだ・・・・そしてそれを激しく求める者達が居た。

本能だから軽やかに、困難の渦中に有ってもブレナイ。

 

元治元年

 

 4国連合艦隊(米英仏蘭)、長州攻撃近しの情報を知らせんとロンドンより急ぎ伊藤俊輔と井上聞多、帰国。

何の為に学んでいるか解っているからフットワークの軽やかな事、最適を見い出す為には事実が大切である。

様々な人とネットワークを持ち・事実を積み重ね分析の出来る学者と・事実の記事を筆力を持って書ける記者が・・・・・いつの時代も発信できる心ある者達が切実に必要で有る事が解る。

 

明治20年夏島

 

 帝国憲法草案・伊藤博文・井上毅・金子堅太郎・伊藤巳代治いよいよ開始。

留守を任された井上、黒田や岩倉の大変だった事、最も大切にしなければならない自由を「何をしても自由」とはき違える者多数フリーダムとリバティの混同

( フリーダム 国家の命運を外国に委ねるな ) 著者 江崎道朗。

育ちの良い年上の岩倉さんの強い事、

下手な嘆願書を出せば、「不敬不遜、我国体に反す。」と退け、

井上馨、伊藤博文への陰口には「一度見て見よ、欧州の社交界のスキャンダルと比べたら子供の遊びよ。」世界を見聞し「どれ程世界が残酷か。」「国が無く成るとはどういう事か。」維新に遅れてきた者達を・留学させ・世界を見せ・現実をみせ続けたのが明治政府であった。

 

 「ちょっと四人で合宿してくる。」とだけ言い残し家をでた。

この人達を政治家官僚と呼ぶのは今は適切では無い、こういう人達を学者いう。二週間たち梅子が・毅・堅太郎・巳代治の其々の家を回る。

お給料はそれなりに高級で有るにも関わらず”つましい”生活ぶりに「書籍ですか。」と聞く・・・「えぇ、時間がある時は借りて写したのですが、近頃は時間がないので・・・」

梅子笑顔で、「これからは、伊藤に付けて買ってください。」・・・

「それと、スーツは伊藤と同じ所でやはり払いは伊藤で。」驚く妻たち・・・

「インクは重曹とぬるま湯で結構消えますよ。」・・・

スーツのまま仕事をし書き物をし続けると、シルクウールのジャケットの肘はすぐ擦り切れワイシャツはインクが付くわ、綺麗な服で一日子供を外で遊ばせたようにメンテナンスが大変。着物で有れば洗い張も縫い直しも出来ても洋服はそうはいかない。

伏し目がちにゆっくりと話す、高僧の教えが良く身に付いてエレガントな梅子・・・

「いつもどうりに夢中で籠って居るでしょうから、まだ時間が掛かるでしょう。何か困ったことが有れば何でも言って下さい、小さい子がいるんですから。」

だよねぇ~これだも金は残らんわぁ、大久保の洋館も二重借金の形だったしねぇ~

妻なれば・・・”お気の毒”以外言葉が思いつかない。

 

 その頃四人は、草案作り議論の中、煮詰まると服を脱ぎ捨て海に飛び込み頭を冷やす。

松下村塾で目を輝かせ学んで討論していた、あの頃の様に。。。違いは近代日本の命の襷が肩に掛かっている。

明治二十二年「大日本帝国憲法」公布ー明治二十三年「大日本帝国憲法」施行

 

                  次回  妻