退院して5ヶ月も経つときつい副作用は殆ど無くなってきます。
肌が痒いのも我慢できないほどの痒みではありません。
今日は自分の骨髄移植を振り返ってみようと思います。
退院した直後は、会う人に「よく頑張ったね」と声を掛けられることがありました。
でも私はその「頑張った」という言葉に違和感がありました。
私は移植中は頑張ったのか?
私は決してクリーンルームの中で頑張っていませんでした。
ただ今ある辛い現状を耐えるだけでした。
辛い1秒を耐えて、次の1秒も耐える、その繰り返しです。
このブログに何度も時間が過ぎるのが遅い、夜が長いと書いたと思いますが、時間が長く感じたのはその為だったと思います。
こんな私ですが、過去に頑張ったこともあります。
例えば、テスト勉強、サッカー、仕事など頑張った経験があります。
今日はここからここまで勉強しよう。
この問題は理解できるまで勉強しよう。
サッカーだったら、しんどいけど全力で走ろう、もう一歩前に出ようとします。
仕事だったら、このままでは終わりそうにないからご飯食べないで頑張ろうとか、今日は寝ないで仕事を終わらせようと頑張ります。
この頑張った事に共通して言えることは、全てゴールがあることです。
頑張ったら頑張った分だけゴールが近くなります。
ゴールがあるから頑張れますし、本当に辛ければ今日はここまででいいやとゴールを近づけることもできます。
もっと辛ければ逃げ出すことだってできます。
しかしクリーンルームでの戦いはゴールが見えません。
ゴールがあるのかさえ分かりません。
この痛みや、倦怠感がどこまで続くのか誰も教えてくれません。
ゴールのないものに人は頑張れないと思います。
出来ることはその瞬間を耐えることだけです。
退院間近に私は妻や私をお見舞いに来てくれた友人に、こんな事を話した覚えがあります。
骨髄移植って真っ暗なトンネルを歩いている様です。
どこまで続くかわからないトンネルを歩いていたら時々崖が現れます。
その崖はどれだけ高いのかどれだけ険しいのか分かりません。
でも、登り続けるしかありません。
登り続けていると段々崖の傾斜が緩やかになってきます。
あ、この崖もうすぐ登り切れるかもと思える時が来ます。
そう思えたら案の定その崖は終わりを迎えます。
しかし、その暗いトンネルを歩いているとまた次の崖が現れます。
今度の崖は、やはりどれだけ高いのかどれだけ険しいのか分かりませんが、耐えて登り続けるといつか登り切れます。
そんな崖を幾つも乗り越えていくと、向こうの方にうっすらと光が見えてきます。
この暗くて長いトンネルをもうすぐ抜けられるかもと思えてきます。
そうするとふさぎ込んでいた自分の気持ちもちょっとずつ晴れてきます。
その光は日に日に強く明るくなって、とうとう広い明るい大地にたどり着きます。
私の経験した骨髄移植はまさしくこんな感じでした。