今日は昨日の続きです。
生まれ故郷と言っても家族4人の中で私しか知らない土地です。
私以外の3人がそんなところに行っても、ちっとも面白くありません。
1日目だけは私の好きなように時間を使っていいという条件での旅行です。
38年も経つので、正直どんな風に変わってしまっているのか想像がつきませんでした。
余りの変わりように、がっかりして帰るという事だってあり得ます。
レンタカーで走っていて、故郷が近づくまで、どこを走っているのか全く分かりませんでした。
なんせ、当時小学校の低学年です。
行動範囲はせいぜい半径3kmくらいです。
その場所が近づいてくると「あ、ここ見おぼえある」「ここ、友達の家があったところだ」と見覚えのある風景に成ってきます。
でも、私の住んでいた団地や、蝶々が舞っていたキャベツ畑、通学路にあったイチジク畑は工場やマクドナルドに変わっていました。
やっぱり38年も経つとこうなるよなと、分かってはいたけど残念な気持ちもありました。
諦めずに思い出の景色を探しに散策します。
小学校に行ってみることにします。
当時の通学路と同じ道を車で走らせます。
小学校が近づくとものすごい懐かしさです。
「あ、ここ私が通っていた習字教室だ」「ここ、50円でヒヨコを買ったところだ」
小学校に上がっていく坂道は当時と全く一緒でした。
校庭や校舎、校舎から校庭に降りる幅の太い階段の雰囲気、全部同じでした。
同じというよりも、そうだそうだ、この階段こんなに幅の太い階段だったんだと記憶を掘り起こす感じでした。
小学校に上がっていく坂道をさらに登ると私が通っていた幼稚園があります。
というより、あるはずです。
その坂道を登っていくとやっぱりありました。
当時と全く同じです。
まるで幼稚園児の私が園庭で遊ぶ姿が見える様です。
次に私がよく遊んだ土手に行ってみます。
秋にはものすごい数の赤トンボが飛んでいた土手です。
夏にはお祭りがあって、夜に友達と遊べてワクワクした土手です。
やっぱり全然変わっていませんでした。
なんかほっとします。
でも、景色は全く同じでも、なんか違う気がします。
記憶に残っている景色と実際目の前にある景色、、、大きさが違うんです。
こんなに土手低かったっけ?、土手まで歩いてきた道こんなに短かったっけ?、道幅もこんなに狭かったっけ?
当時と変わらない景色は見た目は同じでも、大きさが全部小さく感じるという不思議な感覚に陥りました。
そんな私の記憶と実際の景色の照合をしてみたわけですが、一つだけ不安なことがありました。
それは、今回思い出の故郷を訪れたことによって、私の記憶が全部塗り替わってしまって、今回見た景色が故郷の記憶になってしまうのではないかという事です。
でも、それは大丈夫でした。
今も私の記憶の中には大きな土手や、長い通学路、小学校幼稚園と続く長くて広い坂道が残っています。
安心しました。
私は昨年骨髄移植をしました。
多分私の人生でトップ5に入る大きな出来事だと思います。
この後、私が人生を重ねていっていつかこの骨髄移植をふり返った時、どんな風に私の記憶の中に残っているのでしょうか?
それは10年後、20年後のお楽しみです。
今回私の骨髄移植の体験記を今日まで書いてきましたが、今日で連載はおしまいにします。
この自分の体験が誰かの参考になればいいなと思い始めたブログです。
そして、自分自身の体験を振り返ってみて、文章に残しておきたいとも思っていましたし、社会復帰に向けて何か毎日張り合いをもって臨めることをしようと思って始めた理由もあります。
やるからには毎日更新しようと決めました。
1日に2日分書いてインチキしたこともありましたが・・・
私は過去の事をブログで書くという、あまり皆さんがやって無い特殊な手法でブログを書いてきました。
きっと、現在進行形でブログを書いていたら全く別のブログになっていたと思います。
今現在クリーンルームで闘っている方がこのブログを読んだら、骨髄移植はそんな甘いものではないと思う方もいらっしゃるかもしれません。
ブログを書いていくうちに、いろんな方が闘病していることを知ることが出来ました。
そして、闘病している方のご家族の方も一緒に闘っていることを知りました。
私は、今骨髄移植に臨んでいる方、これから臨もうとしている方、骨髄移植ではないけど投薬、服薬治療をしている方、そしてそのご家族にも大きなエールを送りたいです。
それと、禿げ頭 ここまで回復しました