マンションのエントランスにある郵便受けを開けると、長い間確認していなかったせいでチラシや郵便物が山のように溜まっていた。チラシと郵便物を手際よく選別して側に設置されたゴミ捨てに投げ入れると、残りの郵便物を無造作に一塊で鷲掴みにしたままエレベーターに乗った。

 ズボンがすっかり濡れて、玄関口で脱いで廊下から洗濯物入れへと投げ込む
 
 郵便物を手で分けながらリビングに向かって歩きだして、一つの手紙を目にした。
 すぐにリビングへと走り出し、他の手紙をイスのあたりに適当に投げ捨て、再びその手紙だけを凝視した。

 手紙の裏に書かれた差出人は村上美雪。
 
 その名前を見ただけで震える手、もどかしげに手紙の上部を荒々しく破り捨て、中に入っている3枚の便箋を開いた。
 
 それは美雪の遺書とも取れる文面だった。

 おじさんへ
 
 この手紙が届いた頃にはあたしはもうこの世にはいません、ごめんなさい
 せっかくおじさんが仙台まで連れて来てくれたけど、あたしはこうしようって決めていました、おじさんに怒られちゃいそうだね、本当にごめんなさい

 瞬時に頭の中に疑問が駆け巡る。
 美雪は僕の住所を何故知っているのか、母親や村上氏が知っていたとは考えにくい。

 ここに居た頃の美雪の姿を頭に思い浮かべた、その答えが判った。美雪が何故かテーブルの上にある葉書をじっと見つめていたことがあった、あれは僕の住所を暗記するためだったのか。

 その時には、この手紙を書き綴る覚悟を決めていたんだ。


 でもあたしはもうこの世にはいられないのです。もう、お母さんに顔を合わせらないから。
 ところで、おじさんはあたしの事覚えてくれているかな?
 あたしは小さい頃におじさんに会っていたんだよ、お母さんの事だって、おじさんは知っているんだよ。おじさんの部屋で名前を聞いた時に思い出したんだ、あの時のおじさんだって。
 そして、あたしがおじさんの目の前に現れたのは多分、優しかったおじさんの思い出がずっと頭に残っいたせいだと思うの。
 あたしの本当のおとうさんのかすかな記憶は、お母さんとあたしを殴ったりけったりする記憶しかなかったし、今のお父さんもすごく厳しい人で気にくわない事があると殴るから、あたしもお母さんも顔色をうかがっていて口答えも出来ないし、家の中には笑い声もなかった。きゅうくつな生活だったのね。


 そんなあたしの中で、一番楽しくて、大好きだったお父さんの記憶っていえば、おじさんとすごした小さいころの数日間。
 だから、きっとおじさんのところに意識だけが飛んで行っちゃったのかもしれないね。

 涙が浮かんでいた。
 美雪の書いた文面は、僕が思い出した通りのことだった。もう少し早くにそのことに気付いて美雪の話を聞いてあげられていたなら彼女の死を止められたかもしれない。僕は馬鹿だった、プロの将棋士で、先を読むことが仕事なのに


 この手紙で本当の理由を書こうと思っていたけど、やっぱりやめました。
 あたしは誰にも話さずに逝きます。
 おじさんとすごした数日間と、このあいだからの一月は、心から笑えて本当に本当に楽しくすごすことが出来たよ。ありがとう。

 あたしはまるで9一歩みたいだね、本当に馬鹿みたい。

 さようなら お父さん


 最後の行にあった父さんという文字。全身から力が抜けて泣き崩れ落ちてしまう。
 結局、美雪は最後まで死んだ理由を教えてくれなかった。
 美雪の手紙がくしゃくしゃになるほどに強く胸に抱きしめ、震えながら声を上げて泣きだす僕は、無力で哀れな父親でしかなかった。




 美雪の手紙が届いた数日後、大きな決意を胸に再度、仙台方面行きの新幹線に乗り込んでいた。出発を待つ新幹線の窓際の席で駅のホームの人の流れを見ながら深く考え込んでいる。

 美雪の手紙からは、結局何も目新しい真実は伺う事が出来なかった。
 それでも美雪が僕に何かを訴えかけて来るような気がしてならない。それに何よりも僕自身がこんな結末で美雪との物語を終わらせてしまうのが我慢ならない。

 新幹線が動きだすのと同時に美雪の手紙を内ポケットから取り出し、再度読んでみると、文面から気にかかるところがいくつか浮かんでくる。

 一つは、本当の父親はともかく、今の父親からも暴力を受けていたということ。
 村上氏は厳しい父親で日常的に暴力を振るっていた様子が伺える、しつけのために手を上げていたとも取れるが実際に美雪が死を選んだという事実があるということは、父親の暴力が一番の原因の可能性だってある。

 もう一つの気にかかる文面「わたしは9一歩みたいだね」と言う例えだ。
 僕には、まだこの意味がわかっていない。

 そもそも9一歩とは、プロの将棋ルールでは禁じ手となって指してはいけない行為。相手の陣地の一番奥のマスに打つ「歩」や「香」はそこから動かせなくなるため、ルール上指してはいけないと決められている。だけど、普通はひっくり返して「と金」にするのが当たり前だから対局中にそんなミスを犯すやつはいない。

 美雪は自分自身を何故こんな風に例えたのか。

 美雪の両親、村上氏と恭子に会って話をしたら、何かこの霞がかかったようなもやもやをふり払えるような気がして僕は仙台に向かっている。

 仙台駅に到着し、調べておいた村上氏の住所が書かれた紙をタクシーの運転手に手渡した。


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 東京に戻っても何もする気がおきない。
 
 村上棋聖が突然、残りの棋聖戦を辞退したのだ。

 将棋連盟から受けた連絡によると、娘さんの死が原因で将棋の集中できないため、しばらく将棋の対局自体を辞めたということ。連盟としても、村上棋聖の気持ちを最優先に配慮して棋聖戦の延期を申し入れた。が、当の本人はそれを頑なに拒み、連盟も申し出を受け入れて、今年の棋聖戦は辞退による不戦勝として処理された。
 
 僕はあっけなく、人生初の将棋七大タイトル、棋聖の称号を授かってしまった。
 全くもって納得がいかない。

 2戦2敗、全く歯が立たず、一勝すら出来なかった上で獲得したタイトル。何の価値もない形だけのタイトルだ。
 つい、感情的になり「僕も辞退します」と電話で口にしたが、さすがに連盟のほうでも二人同時に辞退されるのは困るのか、えんえんと諭され、遂には説得されてしまった。最後の方はどうでも良くなって投げやりになった形だった。

 僕はこれから一年間、大河内棋聖と呼ばれることになる。そう呼ばれるたび、例えようのない虚しさに襲われる事になる。

 どしゃぶりで靴が濡れるのを我慢してまで、気分転換にと将棋教室へと来ていた。
 棋聖戦に集中するため、ここへ来るのも休ませてもらっていたので本当に久しぶりのことだ。 びしょ濡れの傘を閉じ、教室内へ入ってゆくと、みなが歓迎するように僕の側へと駆け寄ってくる。

「先生じゃねーか、久しぶりだなあ」

 棋聖戦のことは、すでにみんなの耳に届いていたらしく早速、祝福を受けた。

「大河内棋聖!おめでとう!」
「おめでとう、先生」

  苦笑いを浮かべて愚痴をこぼす。

「なんだか、恥ずかしくてね」

 虚しさが先立ち、祝福を素直に喜べない。
「そんなことないさ、確かに村上さんには気の毒だったけども。先生がトーナメントを勝ち進んだのは事実だから、堂々と胸を張っていればいい」
「そうだそうだ、来年、連覇すればいいじゃないですか」
「そうですよ!」

「……そうですね、せっかく掴んだタイトルを手放すわけには行きませんよね」

 励ましてくれる気持ちが嬉しくて、なんとか笑顔を作ることが出来た。
 すると、教室にいた一人の小学生がこんなことを言い出した。

「先生!勝ち続けて永世棋聖、目指してよ」
「永世棋聖?」

 永世称号とは、七大タイトルのうち同じタイトルを連続か通算5期勝つことで与えられる名誉な称号のこと。僕は、今年取ったことで1期。来年は棋聖として挑戦者を迎え撃つ立場になるが、今回の棋聖戦前まではタイトルに挑戦すらことすらままならなかった僕が、永世称号をいただくことなど夢のまた夢だろう。

「それはさすがに……」

 さすがの常連さんたちの頭の中にさえ浮かばなかったほど恐れ多いことを、小学生は簡単に言い切ってしまう、無邪気ってことは凄い事だ。
 
 ひとりのおじさんが小学生の少年の頭を撫でながら困り顔で言う。

「ぼうず、それはいくらなんでも難しいだろう、棋聖だけとっても長い将棋界の歴史で永世は5人くらいしかいないはずだからなぁ」

 小学生は怒ったように言った。

「でも、そんなのやってみなきゃ分からないでしょ?あと、たった4回勝てばいいんだしさ、僕がハンデもらって先生と10回やったって1回も勝てないくらい先生は強いんだよ」

 教室中が少年の話で笑い出した。

 つい僕も一緒に笑ってしまったが、冷静になって考えてみた。
 少年の言う事をただ笑い飛ばしてしまう僕は一体、何なのだろう、プロの棋士として勝利を目指して戦っている本人が無理だと決めつけていいのだろうか?僕にはそんな覚悟さえなかったのだろうか、今の地位にいる事程度で満足してしまっていいのか。

 例え、難しい事だとしても、少年の質問にどうしてすぐに「永世棋聖になってみせるよ」と笑って言えなかったのだろう。

 数十分、教室の皆さんと話しをして将棋教室を後にした。
 雨よけから滝のように落ちる雨滴を見上げながら再び考えた。

 結局、僕には次に勝つ自信がないのだろう。

 プロになってから挫折を味わって、それでも今回の挑戦者決定トーナメントび優勝して自信が沸いた。しかし、中途半端に終わってしまった棋聖戦で、村上氏との力の差のイメージが頭に鮮明に残っただけだった。
 たとえ、次の対局で負けていたとしても、最後まで挑戦した上での負けたのならば、こんな気持ちにならなかった。一からまた挑戦する気構えが生まれていたはずなのに。

 来年、棋聖として対局を迎える時、ラッキーで勝ち取った棋聖のタイトルだと、僕も挑戦者も思うのだろう。やはり、どうでもいいと思っていたのは嘘だったんだな、中途半端で終わったタイトル戦がくやしくてたまらないんだ。


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なんかもう小説のせるのめんどくせえ

今回のやつでもう打ち止めだな

じゃなっ