翌日、喪服に着替て再び向かった仙台のとある葬儀場。
 見覚えのある面々が、会場の外でヒソヒソと小声で話している。

「まだ、12才だって」
「可哀想に」

 普段対局しているプロ棋士たち全てが集まる珍しい光景。今日、対局がある者以外はほとんど参列したとも言っていい。
 受付を済ませ、建物内に入ると、思いの他、小さな祭壇に美雪の遺影が見えた。
 自殺した子供の葬儀ともなると、普通なら身内だけの密葬となるはずなのに、村上棋聖はそんな世間の目など気にも留めず、ただ、愛する娘を大勢で見送ってあげたいという気持ちが伝わってきた。奥さんと共に気丈な姿で参列者に挨拶をしていた。

 座布団に座り、横目で二人の様子を見ていた。
 美雪から父親の話は聞いていたけど、母親の話題は聞かされていなかった。
 初めて見る母親は、ハンカチを鼻に当てて悲しみを抑えている。参列者に頭を下げ続ける姿が痛々しい。

 しばらくすると僧侶の読経が始まり、親族から順番に焼香が始まる。
 僕の順番になり、後ろから回りこみ村上夫妻の前で頭を下げる。
 二人が揃って頭を下げ返したけれど、村上棋聖は僕と目を合わせてくれない。きっと、僕はこの間の対局の件でいい印象を持たれていないのだろう、そう判断してすぐに祭壇の正面に座る。

 僕を見下ろす美雪の遺影は笑っていなかった。

 僕は思った。最高に可愛らしい笑顔をもつ美雪なのに、何故こんな表情の写真を使うのだろうか、僕の瞼には君の笑顔が焼き付いて離れないというのに。
 
 焼香を済ませ、再び村上夫妻に頭を下げようとした時だった。
 
 ハンカチを鼻から外していた奥さんと目が合った僕は、金縛りにあったかのように体の自由を奪われていた。奥さんは僕の表情をじっくりと眺めたあと、より一層悲痛な顔で頭を垂れる。
 僕は逃げるようにその場から立ち去り、元の席に戻って高鳴る心臓を押さえる。
 その場所からて再度奥さんの姿を凝視した。

 彼女のことは、はっきりと思い出せた。
 8年ほど前に、僕が結婚を考えていたほどに愛していた3つ年上のバツイチの女性、恭子。
 突然、僕の前から消えてしまった彼女だ。

 彼女は僕のその後を知っている。村上棋聖のそばにずっといたとしたのなら、僕のことは知っていたはずだ、棋聖戦で旦那が戦う相手だってことも承知のはず。
 
 いや、今はそんなことはどうでもいい。
 別に、彼女に未練があるわけでも、突然目の前から姿を消した彼女を恨んでいるわけでもない。ましてや、あの時、僕の前から消えた理由を聞きたいわけでもない。
 そうではなく、僕が言いたいのはまるで違うことなのだ。
 彼女が美雪の母親だってことは、僕のマンションに美雪が現れたのことは偶然ではなく、美雪自身の意志で現れたという事になるのだ。
 
 8年前の夏、恭子との結婚を申し込む決意を固めた。
 それはつまり、恭子の連れ子の本当の父親になる覚悟を決めたということだ。恭子には前の旦那とのあいだに生まれた子供が一人いた。旦那の暴力に耐えられなかった恭子は子供を連れて家を飛び出し、どうにか生活をしていた。
その後、親子二人でアパートに暮らしていた頃、僕と恭子は出合い、恋に落ちた。
 初めて恭子の部屋を訪れた時、小さな彼女に出会った。


「こんにちは」
「……」

 人見知りでもするのか、彼女はすぐに恭子の足の裏側に隠れてしまう。

「ほら!ご挨拶は?」

恭子の声にも反応は鈍い。

「……」

 出来る限りの笑顔をふりまいて彼女に聞いた。

「お名前は?何ていうの?」

 彼女は恭子の足から顔半分だけ出し、勇気を振り絞って答えたっけ。

「……みゆちゃん」

 まだ、5才の美雪だった。

 そのあとの三日間、恭子の家に泊まり、美雪に気に入られようと一生懸命遊んであげると、徐々に心を許してきた美雪は大きな笑い声を上げて僕に飛び掛ってくるようにまでなっていた。
 次の日に恭子が仕事に出たあと、僕と美雪は二人で近くの動物園に出かけた。小さな手でしっかりと僕の手を握り締めて、園内を歩き回る二人は、はたから見たら本当の親子に見えるのだろうと想像して一日中歩き回っていたっけ。
 美雪は象のオリの前で嬉しそうに象を見つめていた、
 手渡しでエサを与えるサービスがあり、美雪を抱っこしながら餌を与えさせると、彼女は楽しそうにエサをあげていた。その日の夕方、夜も待てずに僕の膝の上で眠っていた。天使のような寝顔を見て心を癒された。
 三日目の夕方、玄関先で別れを惜しむ美雪が必死にバイバイを手を振っていた。

 それが最初で最後のふれあい。

 彼女のことは、「みゆちゃん」と呼んでいたせいか、大きく成長した美雪をその幼い彼女と照らし合わせることは出来なかった。すっかり忘れていた、思い出したくなかったのかもしれない。恭子が目の前から消えたことに衝撃を受けたせいで。

 だけど、美雪は覚えていたのだ。
 たった三日間だけの思い出、彼女の心の中で大事にしてくれていた思い出を胸に現れたんだ。僕のところへ。

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 病室の前でおそるおそる中を覗いた。

 もし、村上棋聖が病室にいたら、どう話しかけたら良いもの。
 やはりいくらなんでも来るのが早すぎただろうか、そんな事を考えながら覗いていた。

 しかし、覗いた病室には村上棋聖どころか、ベッドの上に美雪の姿もなかった。散歩にでも行っているのかと思いつつも、ベッドを見渡してみてもここに病人が寝ていた気配が感じられない。ベッドの脇のプレートをかけられていた場所に、美雪の名前がなかった。外されているのを見た僕はすぐに理解した。
 ああそうか、意識が戻ったから一般病棟にでも移ったんだ。

 丁度、その病室の前を忙しそうに通りかかった看護師を捕まえて聞いてみた。

「すいません、村上美雪さんはどこか他の病室に移ったのでしょうか」

 笑顔で聞く僕とは対照的に、看護師の顔が一瞬にして歪んだ。

「村上美雪ちゃんは……亡くなりました」

 看護師の言葉が理解出来ずに、僕はもう一度聞きなおした。

「はい?」
「昨日……私たちが目を離したすきに、病院の屋上から飛び降りてしまって……」

 足元にはモンブランの入ったケーキの箱が、形を変えて転がった。



 家に戻り、いつも美雪が座っていた居間の長イスに座る。呆然と全身を無気力感に包まれ、もう数時間も動けない。
 
 あまりにもショックが大きすぎた。

 こんな結末を迎えるとは想像も出来なかった。
 前に自殺を試みたことがあったとしても、美雪が自分の体に戻ったなら、前向きに生きていってくれるはずだと心の中で信じていた。二人で過したこの一ヶ月間は、彼女になんの安らぎも、生きる希望も与えてはいなかった。深き心の苦しみを聞いてあげられていなかったという現実は、背中に張り付く黒いヘドロから悔しさが泡となって噴出してゆく。

 部屋の隅に置かれた将棋盤が、やたらと存在を主張する。
 首筋の汗がシャツ越しに流れゆく感覚が気持ち悪い。将棋盤から目が離せないまま時間だけ僕を無視して流れてゆく。部屋中が真っ暗な闇にすっぽりと覆われたままでいると、に携帯が鳴った。
それは、将棋連盟からの電話だった。

 村上棋聖の娘、村上美雪が亡くなったので明日行われる告別式への参加を促す内容の電話だった。どこかまだ信じきれていない美雪の死を、改めて知らされると、堰を切ったように溢れる涙が会話の邪魔をする。
 電話口を手で押さえながら、相手に悟られないように泣いていた。

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 直後、村上棋聖に急激な親近感が沸いてきた。

 すぐにでも喜びを分かち合いたい気分。手に取りあって踊りだしたい気分だった僕は、対局中なのにもかかわらず、村上棋聖に話しかけてしまっていた。

「美雪ちゃん、意識が戻りましたね」

 それまでは盤面しか向いていなかった村上棋聖は、突然の問いかけに眉をひそめ、睨みつけてくる。

「……なぜ、美雪の事を知っている?」
 下から響いてくる。
 怒りを抑えたような口調は、恐ろしいほどの迫力があった。

「いえ、その、それはつまり」

 つい口を滑らせてしまったことに今更ながら後悔していた。

 村上氏は、急に立上がったかと思えば、大きな声で僕に一喝した。

「何のつもりだ!」

 響き渡る村上棋聖の怒声に、部屋にいた人間は皆が驚いた。
 
 やがて静寂に包まれる。
 
 僕は何も言えず固まっていた。全面的に僕が悪い。
 対局中に口に出していいことじゃない、それは明らかだ。
 ただ、そこまで怒りを前面に出すとは思ってもいない。僕は返す言葉もなく項垂れたい。その時、立会いの内の一人が、村上棋聖を制するように一声かける。

「村上棋聖」

 その声に振り向いた村上棋聖は、もう一度僕の目を睨みつけ、座布団へと腰を下ろすと、再び何事もなかったかのように腕を組んで盤上を睨みつける。
場がざわついたその部屋の中で、僕は居心地が悪そうに正座しなおした。

 怒るのも無理もない。

 きっと村上棋聖は、美雪の状態を誰にも話していなかったのだろう。それなのに僕の心無い発言は、まるで、対局前に彼の身辺調査をし、彼が対局中に動揺させるために放った言葉と捉えられても仕方がない行為だ。
 まったく、僕はどうしようもない男だ。

 それからの村上棋聖は珍しくソワソワしていた。たびたび席を外して部屋の外へと出て行く。

 まだ村上棋聖は美雪が意識を取り戻したことを知らないのだろうか。対局前なので、集中力を切らさぬために家族が敢えて連絡を入れなかったことだって考えられる。
 家族へ確認の電話でもして来たのだろうか。
 だけど、戻ってきた村上棋聖の表情からは何も感じ取れない。いつも通りだった。

 まもなく、王の近辺をどうしようもなく駒に遮られ、或る一手を指されたところで負けを認めた。僕は投了を宣言した。

「これまでです」

 後味の悪い第二局目がこうして終了した。
 早くも二敗目を喫し、もう一度負けた瞬間、今年の棋聖戦は村上棋聖の連覇で終了することとなる。



 次の朝、朝食もそこそこにホテルを出た僕は、東京駅に到着しても駅を出ずに仙台方面へと向かう新幹線に乗り込んだ。

 本当は勝った報告をお土産に持って美雪の元に向かいたかった。けれど、対局相手が自分の父親だなんて、きっと彼女も知らない。父親が勝ったのだから、それはそれでかまわないはずだ。

 病院の玄関口に着いた僕の右手には、彼女が好物と言っていたモンブランのつまった箱が握り締められていた。
 病室へと向かう廊下を歩きながら考えていた。
 意識が戻ったばかりだから、ケーキなんて、まだ食べられないかもしれない。
 美雪はきっとこういうだろう、「そんなの持って来たって、まだ食べられないのに」と。
 なんて、笑いながら怒る美雪の顔が浮かんできた。

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