2歳からやっててよかった!公文式!その上で補足 | 元介護職・アラフォーからの転職〜学習サポーター(家庭教師)のプロを目指して〜不登校支援/神奈川・東京

元介護職・アラフォーからの転職〜学習サポーター(家庭教師)のプロを目指して〜不登校支援/神奈川・東京

現・不登校の生徒のための適応指導教室カウンセラー&通信高校の講師&介護講師。学歴ほぼなし資格は介護福祉士。現代社会で学歴と資格に頼らないで生きるためには「真の実力」が必要。勉強は楽しいからやるもの。福祉系通信高校・通信大学を卒業した元社会人大学生。

【使い方を間違えて欲しくない公文式のメリットとデメリットby子供の立場から】
2歳から公文式をやっていた私は、
幼少時の知能テストはズバ抜けて
全国的にもトップクラスであった。らしい。
当時の記憶も感情も
かなり鮮明に持っている私の立場から
色々、掘り起こしてみる。
幼稚園では他の子よりも
成長が速いし色々なことを知っているから
周りが幼く見える。
自分は天才で特別な存在だと思い込む。
ただえさえ、子供はそう思ってるのに、
本当に能力が高いからその思い込みから
抜け出す気すらないし、
親もそう思っているから
自分は選ばれた人間であると
考えても仕方がない。
それでも、幼稚園の時は、
人間関係で悩むということはなかった。
勉強以外では実は、
周りと溶け込めなかったり
ペースを合わせるのが苦手と
何となく思っていて、
こんな辛い世界に産まれて来て
しんどいと思っていた。
ただ、「悩む」という概念や
「人間関係」という概念がなかった。
よく分からないが、親が、
「ほほは周りがバカに見えるんだよな」
「別にレベルの低い子と
無理に一緒にいなくてもいい。」
などと言っていたが、
その意味すら理解しておらず、
テキトーにうんうん言っていた。
4歳の時に方程式を解いていたらしい。
5年生の問題を解いていたのは覚えている。
毎日、泣きながら問題を解いていた。
お父さんは隣でテレビを見てるのに、
何故、私はその場で苦痛を強いられているのか。
手が止まると怒られた。
苦痛の感情しか残っていない。
分からないところは教えて貰いながら、
無理やり先に進んでいって、
因数分解や一次方程式という
簡単な分野に入ったらホッとした。
嫌いなのは
分数や少数の混合問題だったと思う。
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公文式はもともと、
理事長の公文公先生が、
発達障害のお孫様向けに
算数の計算問題をプリントにして
作られたものである。
それが、ご近所で評判になり、
本格的に塾として展開されたのだ。
1枚ごとに先生が答え合わせをしてくれて
100点を取れると子供は嬉しいし、
どんどん先のことが知りたくなり、
年齢でカリキュラムが決まっておらず
やりたいところを出来るので
好奇心旺盛の子はどんどん先に進む。
先に進めばトロフィーが貰えるし
全国進度上位者のランキングに乗れるし、
「しんじょうこん」
と呼ばれる進度上位者の集いに参加できるのだ。
私も妹もそこの常連で、
母はそこで演説をしたこともある。
何より、母同士が子供を競わせる、
一種の競馬的な要素のある集いであり、
子供は母に怒られないように、
褒めて貰えるように、
進度を先に進めるしか
生き方を知らないのである。
(あくまで主観です。)
公文式が世界の全て。
そこでトップを取れば世界のトップ。
なんだか、そんな風潮があり、
そんな子供時代を私は過ごしたのである。
その世界にいればそれなりに楽しい。
大変なのは、
そこから飛び出した時なのである。
大抵、中学に入ったところで、
世界はもっと広いことを知ることになる。
公文式では、
計算問題や方程式はしっかりやるのだが、
図形の問題や応用問題をやらないのだ。
塾に行った人達は
つるかめ算をはじめ、
色んな特殊算を習い、
中学の算数の先取りをしている。
公文式で高校の解の公式を知っていても、
図形の中に出てくる角の求め方は分からない。
それまで、
辛い思いをして来た公文生は、
中学に入るとやや親から解放されて
高校までは勉強しなくてもいいやという
謎の錯覚に襲われるのだが、(私だけ?)
いざ、定期テストの点数が取れなくて、
めちゃくちゃ困る羽目になる。
私の場合、
公文国際学園ということで、
親も
「周りが皆、バケモンみたいに
頭のいい人達ばかりだから。」
ということで、
最初の中間テストが150人中130番でも
仕方ないと思ったりもしていたのだが、
本当は気付いていた。
「私は数学が出来ない」
ということに。
授業に付いていけないのだから!!!
中高一貫だから出来ないわけではない。
授業のレベルが高いから
内容を理解出来ないわけではない。
純粋に「知らないことを学ぶ」から
ついていけないのだ。
小学校に入ってから6年、
学校の授業で知らないことを習ったことがない。
もともと知っていることを聞いていただけだ。
だから、授業で学ぶ習慣がない。
この辺りでは、昔の記憶を
掘り起こしたくもないので、
新たな気持ちで
学び直そうという気がおこらない。
やっと辛い幼少期から解放されて、
なんでこっからまたやらなきゃいけないんだよ!
なのである。
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紆余曲折を経て、
今思うこと。
2歳から公文式をやっていて
いいことはたくさんある。
何より、「潜在意識」の自信がついたのが大きい。
小さい頃から「できる」「天才」と
褒めそやされて思い込まされて
私は「私に不可能はない」と気持ちの奥底で
思い込んでいる。
だから、めげない。
何事にもまずは、チャレンジし、
何があっても、不屈の精神で、
「こんなこと出来ないなんて恥だ。」
と、自分を信じて突き進むのである。
ただ、
もし私が子供に公文をさせるのであれば、
小4からは早稲田アカデミーの教材も
自力で行わせる。
応用問題を解くことは、
公文生にとってはパズルのようなもの。
面白いのに「知らなかった私」は、
めちゃくちゃ38歳まで損をしていたと思う。
中学受験の家庭教師をするようになり
初めて「塾」の教材を解いてみて、
1年間、めちゃくちゃ楽しかったのである。
「これやっとけば、
中学に入ってから自信なくすこと
なかったんじゃない?」
と、本気で思っているのだ。
世間では小学生から塾に行っている人が多いので、
人間関係や話題の面も、
公文だけをやるよりは周りについていけるだろう。
要は、公文だけでは、足りないと私は指摘する。
せっかく、
小さい頃から苦労して勉強して来たのに
ついていけない範囲で自信をなくすのは
非常に勿体ない話。
しっかり、習うべきことを穴埋めをしてから
高校の範囲に進みたい。
ただ、社会に出てからでも
私は自力でそこを克服出来たので、
それは、公文式をやっていたお陰。
総じて、公文式幼児教育は良いものである。
と、私は結論付けをし、
母に心から感謝をしているのである。