今の自分が十分すぎるくらいパーフェクトだってことを、認めるのって謎に勇気いる。笑
だって、え?そうなの?本当にそんなこと思っちゃっていいの?って思う。
本当は自分はダメでまだまだで、全然できてなくて、できたとしてもできは悪くて、やることは遅くて中途半端で。
なんていうか、他の人と比べたら大きくもなくて、微々たる感じででもその範囲でいっぱいいっぱいだし、って。
視点が外側向いてると、こういう意識が全てだって思えてならない。
今の自分がパーフェクト?そんなことあるの?
申し分ないくらい、よくできてる、よくやってる。
だなんて。そんな、馬鹿な。
とか。笑
思っちゃうわけよ。謎に。
でも、これ、よく見るとやっぱり自己否定になると思うし、自分自身が気分悪くなる。
自分自身が、もう一人の自分に、「いや、うちの子は出来も悪いし頭も良くない。要領悪くてグズなんです」って、周りに説明してるみたいで、嫌。
自分がもう一人の自分の親だって思うとしたら、自分のこと、すごく褒めてあげて、すごく甘やかしてあげて、すごく愛してあげた方が、嬉しいから。
だから、そう思うことが謙虚さ、って何処かで勘違い、履き違えてしまっているときがあって。
本当に、自身が自惚れないように、とか、そうだな、人を意図的に傷つけるために上から目線になるのとかは、良くないと思う。
でも、自身にもっと愛の眼差しや、優しい寄り添う意識を持つとしたら、やっぱり、今のあなたはパーフェクトで最高で、素敵で何やっても可愛い!とか、思ってみてもいいんじゃないかな。
思ってみても良い、っていう時点で、今まで「そんなこと思うことすら禁止」してきたわけだよね。
つまり自分に制限かけてたわけだよね。
だから、自分がここまでは思って良いけど、それ以上は思っちゃだめ、望んじゃダメってなってたりしたんだよね。
望むことすらダメだとしたら、何もできないし、何も思えない。頭に浮かぶことすら、ダメ。
そんな自由のない思考があるか、ってなるよね。
行動に移すかどうかなんて、そんなものは全く別枠だし、頭の中すら自由でないとしたら、それはやっぱり苦しいし、夢が色が付かない。
望みが出ることそのものに喜びが感じられるまで、自分で自分に質問してみよう。
どうしたい?どうだったら最高?
どうなると素敵?もっとどうなったら気分良くなる?
って。
だから、そんなこと思って良い。笑
そんなこと望んで良い。
そんなことやってみたいと思うくらい自由。
そんなことやってしまったけどまあいいやにする。
まあいいや。どうでもいいや。なんでもいいや。
るんるんるん。(自暴自棄とか、ヤケクソではないよ)
それぐらい、まだまだ、まだまだ、私は私に許可が出せる。
許可を出すことに許可を出して良いよ。笑
今朝、また謎にそんなこと思えて何より。
もしかして自分、パーフェクトかも。
もしかして自分、申し分ないくらいすごくよくやってるかも。
もしかして自分、最高にすごいかも。
もしかして自分、実はものすごい努力してるのかも。
もしかして自分、自分が思ってる以上にしっかりしてるのかも。
もしかして自分、今のままでも十分なのかも。
もしかして自分、もうすでにものすごーく幸せなのかも。
もしかして自分、最高に幸せで周囲は良い人だらけで、愛があるのかも。
そこにいるだけで。
そこにあるだけで。
何もかも満たされることを感じとるって、そういうことなのかも。
そうかも。そうかも。
よし、いいぞ。
その調子だ。
自分って、なんだか、もしかしてめちゃくちゃすごいやつかも。笑
これは、自惚れとか、天狗になるとか、そんな意味ではなくて。
自分が自分の愛に包まれてほっとして、安心できる感覚だと思う。
だから、それでいいのか、ほっとする。
これで大丈夫なのか。ほっとする。
そんな感じ。
愛があるね。
愛を出そう。
愛を受け取ろう。
ほくほく温かいエネルギーで満ち足りますように。
心の正しい使い方。笑
かもしれないね。
自由にやろう。
今日もパーフェクト!!