私が詳しく書いて来なかった【鎮静】について書き残しておきたいと思います。
ゴリさんが全身の痛みに苦しむ私を見てきて、
【鎮静】を強く強く希望していました。
痛くて苦しいのだけは嫌だと
旅立つちょうど5日くらい前でした。
「口から何も食べられなくなりました。」
と緩和ケアから連絡がきました。
ゴリさんのように、
腹水がある場合はポートから栄養剤も入れることは出来ないと消化器内科の主治医から聞いていました。
生きるためには自分で口から食べるしかありませんでした。
栄養価の高い飲み物タイプを飲んだり、
口に入れれば溶けるアイスの実などが良かったようです。
眠っている時間が増えて動かず、
食べられないと命の時間はどんどん少なくなると聞いていました。
【鎮静】は臆病なゴリさんの強い願いでした。
娘は嫌がりました。
最後までゴリさんと話がしたいと言いました。
ゴリさんからは娘の願いではなく、
私がゴリさんの願いを叶えて欲しいと頼まれていました。
この最後の選択については、
私達夫婦は何回もきちんと話を重ねていました。
そして、束の間の言葉をかわすことよりも、
痛みのない穏やかな最期を本人の希望通りに選択しました。
緩和ケアでは医療麻薬を少し増やして、
最後に話が出来るように鎮静から目覚めるようにして下さいました。
ほんの12時間前は2時間ひとりで喋り続けていました。
私と娘がそこにいられる理由なんて、
せん妄が混じって気がつきもしませんでした。
喋り疲れて、
「じゃ、俺は寝る」と手を上げて横になりました。
私も娘も喋り続けるゴリさんと、
これが最後の会話になるなんて思いもしませんでした。
緩和ケア病棟で1人の時間が多かったから、
たくさん話したかったのでしょう。
私達家族は良く話をする家族でしたから。
最後はちょっと違いましたが、
ゴリさんの話を聞いて過ごしました。
鎮静をすると言うことは、
その前に悔いなく話をしておくことが必要だと思いました。
たくさん話をしてきました。
それでも最後まで話をしたいと願ったりしました。
ゴリさんの希望通り鎮静をお願いしました。
とても静かな静か過ぎるお別れでした。
それが鎮静をして痛みなく旅立つと言うことです。
たくさん話をしてきました。
それでもこれで十分だと思うことはないんです。
本人の意思を自分の気持ちよりも優先させました。
本人が迷うようなことは言いませんでした。
娘からは私の時は最期まで話が出来るように、
絶対に鎮静はしないと断言されちゃいました
きっと、その時が来たら娘も私の意思を尊重してくれると思っています。
私が無言で、
ゴリさんの意思を尊重した背中を見せてきたからです。
私とゴリさんの選択は【鎮静】して痛みなく穏やかに旅立つことでした。
鎮静については、
私は今も全く後悔はしていません。
癌患者は恵まれていると思っています。
緩和ケア病棟は何故、
癌患者さんにしかないのでしょうか
痛みに耐え続けている病気はたくさんあります。
ゴリさんは癌患者であったことを、
鎮静があることをとても感謝していたと思います。
旅立つ恐怖も痛みも和らげてくれたのですから。