こんばんは。
ミリーです。
転院のことは、
去年の5月に主治医に教授戦に負けちゃったんだと話があった時から頭にありました。
新教授から、
「君はいらない。出て行け。」
と言われて呆然としていた主治医。
亡き教授の闘病中から、
私達教授の患者さん達も引き受けてくれました。
この主治医がいなくなり、
亡くなった教授ももちろん戻って来ることはない
この時から危機感しかありませんでした。
でも、レミケード点滴継続中だから
おそらく転院は難しいことも知っていました。
でも、去年の5月からもしもの時の病院を探していました。
主治医が何処の病院に行かれるか
可能ならついて行きたいと思ってました。
歩くことはかなり歩けるようになっていました。
でも、階段の上り下りはクラッチの杖を持っていると厳しい
電車やバスなどを乗り継いでの通院。
特にラッシュ時はかなり難しいです。
介護タクシーを使っても通院出来れば、
生物学的製剤を使うことが可能になります。
バイオチェンジした場合、
効き目がなく寝たきりになるかもしれない
寝たきりを10何年も経験しているから、
とても怖かったです
ゴリさんがいない今、
寝たきりになることは絶対に嫌でした。
ひとりで何とか生きて行けるなら、
生きて娘の幸せを見ていたい
でも、違ったなら、、、
【安定している】と言うのなら、
介護タクシーでもひとりで通院出来る病院に全ての科を集めたい
これはずっと思っていたことです。
教授の言葉を逆手に取って利用しようと試みました。
とてもずるい卑怯なやり方です
転院したい病院と診て貰いたい連携する大学病院の2つを中心にして、
他の病院についても詳しく調べました。
大学病院から逆紹介されるのに、
さらに格上の大学への転院は難しいかもしれないとも考えていました。
内科も皮膚科もリウマチ科の主治医も、
色々な情報を下さいました。
整形外科の主治医も、
たくさんの時間をさいて色々聞きたいことを教えて下さった。
それらの集めたピースを私が希望するカタチに組み立てました。
何回も何回も情報が増えるたびに組み立て直ししました。
それを口に出したら消えてしまいそうで、
アメンバー記事にも書けませんでした
お喋りな私が叶えるために、
本当のことをずっと黙って徹底的に調べていました。
鶏ガラ教授とは神経戦をしていました。
医事課の室長や相談室の担当者さんには、
どれだけ酷いことをされていて不安か
率直に伝えていました。
今回転院出来た理由は、
総合病院に転院する手段として大学病院からの逆紹介しか道がないことを突き止めたことでした。
大学病院から直接転院は出来ないけれど、
協力関係にあった大学病院からなら逆紹介を利用して転院が出来るはずだからです。
あくまでもそういう構図が見えたので、
それを教授との話の時にタイミングを見計らって言ってみました。
ダメで元々。
私には主治医も失い、もう失うものは何もなかったから
ショック死だって怖くなかった。
怖かったらレミケード点滴なんか継続出来ない。
本当の願いは強く強く秘めていました。
言葉にしたら消えてしまいそうで、
黙って頭の中でいろんなパターンを組み立てていました。
大学病院側に読んで欲しい知らせたい情報をブログに書いて、
私の本意がわからないようにしていました。
目指している本当の着地点を、
ボヤかしていました。
ブロ友さんにも中々本当のことが言えずにいました。
本当にごめんなさい🙏
騙していたみたいで心苦しく思ってました。
気持ちと起きてることは全て事実です。
でも、私が本当に見ていた着地点だけはずっと黙ってました。
やっと目指していた総合病院への転院が叶いました。
ここからなら、
白内障の手術も信頼出来る大学病院へと連携して貰えます
全てのことが夢のようでまだフワフワっとしています。
保健所から聞き取り調査をしたいと言われています。
無事に転院するまでは、
勘弁して欲しいですと伝えていました
それもケアマネを探しながら、
しなきゃなと思っています。