このブログのつづきです。
私の場合、
ショックで私自身の体調が悪化しました。
末期癌のゴリさんよりも私の方が歩けなくなったり、
眠れなくなったり、
頭で考えられなくなっていました
ゴリさんが転院したがんセンターから帰宅した2020年の12月、
私は希望と言う言葉すらも失って呆然としていました。
私が生きている希望が健康なゴリさんだったからなんです
一般的には地域の包括支援センターに相談にすることになると思います。
私の場合、
ゴリさんだけではなく私にもすぐに援助が必要でした。
不安でいっぱいでした。
私はひとりでの買い物や家事や衣服の脱ぎ着も大変でした。
家の中も介護をしなければならなくなる私が杖なしでは歩けなくなっていました。
先ずは私が通院出来るように、
レミケード点滴が受けられるように送迎などの手配が必要でした。
運転も出来ない時がかなりありましたから
障がい者手帳と難病手帳があったので、
市役所の障害福祉課への相談がはじめになりました。
同時に歩けなくなっていた私の介護認定も受けることになりました。
介護保険に該当する疾病変形性膝関節症と変形性股関節症に該当していたからです。
これは介護保険の適応になる16の疾患に入っていました。
障害福祉課のケースワーカーさんから、
担当は介護保険だと言われて包括支援センターへと回されました。
この時点でケースワーカーさんから、
介護保険担当の包括支援センターさんの担当者さんへと変わりました。
この時点で、
医療保険から介護保険へとかわりました。
ケースワーカーさんは私が担当ではないと手放された感じを受けました。
押しつけあいをしていたように感じて更に落ち込みました。
包括支援センターさんでは、
先ずは私の介護保険の認定をすることになりました。
そして体調悪化した私が大学病院までレミケード点滴に行けるように、
ケースワーカーさんから紹介されたNPOと送迎サービスの契約もしました。
介護保険の認定で訪問を受けました。
そして介護認定を受けました。
私の認定はこの時は要支援2でした。
ゴリさんの末期癌も介護保険の認定を追って受けることになりますが、
この時はまだ私だけになりました。
要支援までは担当は包括支援センターさんだと聞きました。
私はこの時はまだ医療保険で、
総合病院に通院してリハビリを理学療法士さんと作業療法士さんから受けていました。
5月に医療保険でのリハビリが終了することが決まってました。
今後もリハビリは必要なので、
ゴリさんの闘病を支えながら私もリハビリが続けられる方法を探していました。
ゴリさんが末期癌だったので、
家の中も整えていくことが必要になると思われました。
本人の希望は出来るだけ自宅で過ごして、
最期の時は病院でと言う希望を叶えるために
包括支援センターさんの担当者さんには、
私の介護保険を使って階段や一階と二階のトイレに手すりをつける手配をお願いしました。
これが2021年の1月の前半のことです。
手すりが我が家に付いたのは、
4月の中旬でした。
この頃には通院でのリハビリで私はまた歩けるようになっていました。
介護保険では20万円まで住宅の改築に支援があります。
ただし、とても時間がかかります
自宅で長く過ごすには、
手すりなどはなるべく早く用意する必要があると思います。
そして末期癌のゴリさんも介護保険の認定を受けることになりました。
私より1ヶ月後の2月のことでした。
つづく