こんにちは。
ミリーです。




末期癌でゴリさんが旅立って1年と1ヶ月が過ぎました。
私は自分の闘病ブログを書いていました。
その闘病ブログに悩んだ結果、
ゴリさんの闘病も書き留めることに決めました。
それが今のこのブログです。


オンタイムでそんな私達の日常も書いてきました。
同じ闘病している家族のいるブロ友さんや、
私のブログのブロ友さん達に助けられてきました。
書かなかったことも含めて書き出していこうと思います。
私のように闘病中でゴリさんの末期癌の闘病を支えるのが大変な場合もあると思います。
近年では老々介護などもありますね。
私達の場合は、
介護する方もされる方も厳しい闘病をしていました。



私は自分自身が膠原病で難病指定されている強直性脊椎炎と、
乾癬性関節炎(関節症性乾癬)で免疫抑制剤や生物学的製剤(バイオ製剤)で治療中です。
これはゴリさんが旅立ってからも変わらない現実です。


私の闘病が継続している同じ時間軸での闘病になりました。
健康な奥さんじゃなかったことをとても苦しく思っていました。


ゴリさんの末期癌がわかった精神的なショックで、
私は歩くことも出来なくなりましたタラー
家の中でも杖が必要になりました。
ロフストランドクラッチの杖に荷重をかけないと歩けなくなりました。
この精神的なショックは、
私は長生き出来ないかもしれないけれど、
健康なゴリさんは生き続けられると信じて疑わなかったからですアセアセ
ゴリさんに娘の幸せを見届けて貰えると思っていました。
それくらい私の闘病も末期近くに病名がわかった為、
厳しい現実と向き合っていました。


泣かないと決めていたのですが、
身体は私の意思とは違ってズタボロになりました。
そんな状況で医療保険でのリハビリが終了しました。


市役所の障害福祉課に電話で相談することになります。
これはブロ友さんや親友から背中を押して貰って、
ゴリさんの癌がわかってから2ヶ月後に助けを求めることが出来ました。
ただ、頭ではわかっていても、
【助けて下さい!!】と声を上げることはとても悩みました。



つづく