こんにちは。
ミリーです。
やっときちんと話せるようになりました。
悔いはないように手放したいと思います。
もしかしたら、
一生娘にはわからないかもしれない、、、。
私や訪問看護の看護師さんはきちんとわかっていたけれど。
ゴリさんの最期の願い。
それは【娘の前で格好悪い父親の姿を見せたくなかった。】
昭和男子のセツない最期の美学。
自分の病気が受け入れられずにジタバタしたり、
生きていたくないと泣いたりしていたことのある私に頼まれたことでした。
訪問看護の看護師さんに話をしていました。
ゴリさんは私や娘に対して別れの美学なるものがあったようです。
私達夫婦を知るたくさんの人に言われます。
私の方が決断力があり、しっかりしていると。
決断力はあったかもしれないけど、
今の私がしっかりしていたとしてもそれは年月をかけて越えてきたからでした。
娘は旅立つ時にゴリさんにこう声をかけました。
「父、大好きだよ」
旅立ったゴリさんにはこう言っていました。
「ひとりにさせちゃってごめんねぇ〜」と言って号泣しました。
でも、緩和ケアでの旅立ちはゴリさんの昭和男子の最期の美学を貫いたものだったんです。
3人で最後まで一緒にいたかったのはみんな同じだったけど、
「娘はミリーさんから説得してくれ。」
「家ではなく、緩和ケアで俺は痛くなく逝きたいんだ。娘を説得してくれ。」
こう頼まれていました。
いつもひょうきんで格好悪かったゴリさんの最期の美学でした。
苦しい姿は看護師さんにだけ見せて、
私達の前では最後の最期までいつも通りでした。
苦しい姿はほとんど見せずに、
ひょうきんないつもの面白いままのゴリさんの姿を残して逝きました。
だから私は悔やまない。
悔んじゃいけない気がしている。
私がこれ以上家で世話を出来なくなった限界を越えたからゴリさんは入院しました。
私以外にも同じように家族の世話が出来なくなって、
病院や施設を考えることもあると思います。
私も少し前から看取りの出来る施設をケアマネさんから勧められたりしていました。
【トイレ】に自力で介助しても行けなくなった時はお願いしようと決めました。
ゴリさんが緩和ケアに入院したことで、
私の身体は痛くても楽になっていきました。
今まで書いてきた通りです。
痛みが楽になればなるほど、
罪の意識みたいなものがモヤモヤします。
ゴリさんの犠牲の上にあるからです
ずっとそんな自分を許せないと感じることもありました。
全てを手放して、全てを赦す。
何もしなかったわけじゃないし、
出来ることを頑張ったから悔やまなくていいと思いました。
それはゴリさんの【昭和男子の最期の美学】にも助けられました。
私達が幸せに生きることが最高のはなむけになると信じています。
多かれ少なかれ生きていれば様々な悔いは残るものです。
最期まで家で看取れなくても、
愛情がないからではない。
看取りに優劣はつくものではないですね。
私が健康な奥さんじゃなかったことは結婚前からわかっていたことだった。
だから望めなかったのかもしれないけど。
娘は最後まで家でと拘っていました。
モルヒネで痛みをとって、
意識がハッキリしないのなら使って欲しくないとまで言っていました。
「母の時はずっと意識がハッキリしたままにするからね」
と言われています
どんなに痛くて私が罵倒しようが暴れようが、
意識を残したいんだって。
今から怖過ぎるなぁ〜と思っています
娘はきっと最後までそばにいたかったし、
最後まで話がしたかったのでしょう。
でもね、いつも言っています。
「プロに任せて良いんだよ。」って。
ひとりっ子だから、
私を背負うことになるのが申し訳ないと思っています。
だから一生懸命リハビリも頑張って、
家事も1人でゆるゆるとやっています。
その時がきたら、
静かに旅立ちたいなぁと思っています。
娘に迷惑をかけずにね。
昭和女子の小さな願いです