おはようございます。
ミリーです。


2年前の記事です。
まだゴリさんの末期癌がわかる4ヶ月前でした。
私は手術した左側の人工股関節のリハビリ中。
ちょうどこの頃は、
片側だけ人工股関節に変わって身体の変化に苦しんでいました。
反り腰が酷かった時でしたアセアセ
それまでは反り腰であることさえわからなかった私の身体。




この身体で生きていくんだ!と言う覚悟と、

この身体でも変われるんだルンルンと言う希望が見つかった時でした。




今の私がここにいられるのは、

たくさん苦しんだし、

嘆いたし、

投げ出したこともあったし。

他人を羨ましく思ったこともあったけれど、、、キョロキョロ

いつも模索しながら転機があったからここにいる!




ブログでたくさんの皆さんと出会い、

苦しかった気持ちを表に出せるようになりました。



ひとりで抱えてちゃいけないって思います。


言葉は言霊です。

あちらこちらに共鳴して、自分に返ってきます。

自分から放った言葉に助けられたことが何度あったでしょう!?



2年前のこの時期は、

人工股関節になったことで大きな変化の中にいました。

諦めるのは後でいいんだって、

まだまだ変われるんだと言う喜びと、

次から次へと課題が山積みだったことを懐かしい気持ちで思い出しましたルンルン



この身体で、

この身体でも生きていけるんだ!と思えた時でした。



体力的には、

とってもキツかった時でした。

出かけたいゴリさんのことを、

イラッイラッムカムカハッハッとしてました。

まだその余裕が私にはなかったから。



やっと身体が落ち着いてきたのが手術から半年が過ぎた秋でした。



まだたった2年なんですね。



2年前はずっとずっとゴリさんと一緒だと信じていました。



一緒に生きると思っていたゴリさんを失ってから、

まだこの身体でひとりでも生きていけるんだ!!と、

心から思えるようにはなっていませんアセアセ

当たり前だよね!?

でもそれを払拭するために、

リハビリはずっと続けていきますルンルン

やりたいことや会いたい人がいるから。

違う病気だけど、

たくさんの人に助けて貰っています。

一緒に乗り越えたい!!



この身体でもひとりでも生きて行けると胸を張って言えるように、

私でも大丈夫だったよって言えるようにラブラブラブラブ