中庸とは、
どちらにもかたよらず、中正なこと」
を指し、元々は孔子を祖とする儒教の用語です。

儒教が日本に広まった背景について

題名:世界は四大文明でできている
(2017年出版)
著者:橋爪 大三郎
(日本の社会学者東京工業大学名誉教授)

では、




農民に生まれると、一生農民だった時代。

「田畑を耕すだけの人生に何の意味があるのだろう」と、虚しさを感じる人びとのやる気を引き出すため、


「家族を大切にするのは何より素晴らしいことだ」

という教えの儒教を広めた


とあります。

(一部抜粋、要約)



これを読んで、


儒教は、

為政者にとって都合の良い教えとして

用いられている面もあるんだな、

とわたしは感じました。



日本人は無宗教だという人が

多いかと思いますが、

目上の人は立てなければいけない。

親は大切にしないといけないという教えは


誰もが一度は聞いたことがあるでしょう。

わたしたちは、

知らず知らずのうちに儒教の影響を受けていると思います。



わたしは以前
「中庸な人」に憧れて、
なんとか中庸な人になろうと意気込み、

感情的にならないためには
どうすればいいか、
といろんな本を読みあさっていた時期が
ありましたが、
(今思えば、その時点でかなり偏っていました笑)


最近は
みんながみんな
中庸な人になる必要はないなぁと思います。

例えば、悲しい気分の時、
今までなんとなく聴いていた歌に涙を流したり、
映画に心を揺さぶられたりしたことはありませんか。

または、マンガを読んで主人公の気持ちになって
一緒にワクワク、どきどきしたり。

中庸な人ばかりだと、
こんな風に芸術に心を大きく揺さぶられたり、
関心を示す人がいなくなって、
極端な話、小説や絵画、映画などの
芸術が
なくなってしまうのじゃないかと思います。

また日常にいろどりを加えるのも、

人生を楽しくしたり、
ときには苦しくしたりするのも
「偏り」ではないかと思います。

例えば海外ドラマにハマっている人、
スポーツにハマっている人
アイドルにハマっている人

いろんな人がいます。

何にも興味がなくては、つまらないですよね。

といいつつ、わたしはあまり熱狂的にハマっている
ものはありませんが、

連載中のマンガにハマっている。
近くのパン屋のクリームパンにハマっている。

そんなささやかな楽しみはあります。笑


感情についても、偏らない方がいい
という風潮で

ちまたでは
「怒らない」「悩まない」というような
メンタルを整える本が流行っていますが、
(わたしも好きですが)

これも、
中庸、偏らない、感情になりすぎないことを
良しとする儒教の影響?
と個人的に感じました。
(そればかりじゃないでしょうが)

だって、「どんどん感情を露わにしよう!」
「怒って怒って怒りまくろう!」 
みたいな本って
きっと売れないですよね。笑

空気を読み、他人と同じことを良しとする
島国日本には馴染まないと思います。

自分の価値観は普遍的なものではなくて
一つの考え方である。
もっと言えば
知らないうちに宗教の影響を受けている
(かもしれない?)
という視点、大切だと思います。

「上下関係を大事にしなさい」
と後輩に指導している自分、
実は、「聖戦だ!」
と宗教にどっぷりつかっている人と大差は
ないのかもしれません。

特に年代によって価値観は大きく変わります。
家制度があったり、
目上の人を敬って当然という考えで、
パワハラなんて言葉もなく、
儒教の影響をまだ大きく受けている
50、60代以上の人々
パワハラ、体罰が騒がれ、
個人主義が流行っている
30代以下の人々。
もっともっと若い人々に関して。

なかなか価値観が違いすぎて
分かり合えませんよね。

思い切って宗教が違うと思ってしまえば
無理に分かり合えなくても、
共存し、お互いを尊重することが
できるのではないでしょうか。


決して怒らなくて、
悩まなくて、
人を嫌わなくて。
そんな、
聖人君子みたいにならなくても、
いいんです。

わたしが絶対正しい!と偏ったり、
悲しみに偏ったり、喜びに偏ったり、
いろんな方向に振り子のようにふれる。

時には振りすぎて、
バランスが崩れ、
攻撃的になったり、
不安定になることもありますが、
そんな時、「偏らない、偏らない」

と中庸を思い出すくらいが丁度いい
と思います。