いよいよバングラへ入国して、今後のスケジュールや注意事項など説明を受けた後、夕食はNGOの事務所内にある社員食堂で済ませました。
そして食後に運命のジャンケン大会!
というのも、翌日から3日間は7名ずつに分かれて違う村で過ごすからです。
私は幸運にも電気の通っている村に決定!(これ重要)
そして同じグループにあのDもいたのでした。(これ、もっと重要!)
3日間の村での生活は汗疹ができたりヽ(;´Д`)ノ
井戸水でお腹を壊したりと大変なこともありましたが(><;)
井戸水は飲まないように注意も受け、ちゃんとミネラルウォーターも配られてたですけどね・・・現地のスタッフが冷えた井戸水をあまりにも美味しそうに飲むのでつい・・・注意事項はちゃんと守ろうと後で深く反省しました。
車では入り込めない村まで行き、実際に支援活動を見学したり村の人の話も直接聞けて、とても貴重な経験となりました。
あくまでダーリンとの「出会い」の記事なのでツアーや支援内容の詳細は書きません。興味のある方はご自分で調べてみて下さいね。
そして、いつの間にか女子高校生KとDと私の3人が仲良くなり、私とDだけだったらそんなに盛り上がらなかったであろうところを、Kが当時好きだったバスケ部の先輩の話とかしてくれたお陰で、夜な夜なゲストハウスのバンガローで繰り広げられた井戸端会議は連日大いに盛り上がったのでした。
この頃から、私はDっていいな~と密かに恋心を抱くのだけど
そういえば移動にリキシャ(2人乗りの自転車タクシー)に2人で乗った時はとっても嬉しかったなぁ
どうやら年上の彼女がいるらしく(っていうか私も彼氏いたけど・・・)
幸せなカップルを邪魔するわけにはいかないという理性で心のコントロールをしていました。
その後、首都ダッカへ戻ってからもDと私は例の20代独身社会人という共通点もあったし、何より私が気に入ってたので2人だけでもよく話しをしたし、何気に近くにいることが多かったです。
そしてK抜きでDといることでDの存在はますます大きなものに
いけないいけない
だってDったら優しんですもの
私が井戸水の影響でまだ食欲のなかった夕食時は、私の横の席に座って「一口でも食べなよ」と励ましてくれてくれたり、スラムに行った時に不覚にも泣いてしまった(目の前の悲惨な現実に)私を気にかけてくれたり・・。
まじめな話も出来て、バカな話も出来るし、意外としっかりしているし
第一印象の『頼りない浪人生』はもちろんどこかに吹き飛んでます(笑)。
私は理性を保ちつつ、でも内心は・・・
弱ってる時に優しくされちゃうと、やっぱ・・・ねぇ
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しかし無情にも帰国する日はやってきてしまうのです。
あの日常に戻らないといけない日が・・・。
帰りのタイでは希望者は外食OKだったので、仲良くしていた女子大生Mの誕生日をお祝いをしようと何人かで外出することになり、そういう時は積極的に外出するタイプのDと私はもちろん同行
バングラに比べたら近代的なバンコクでのちょっと楽しいひと時。
でもDは帰国後間もなく協力隊員の訓練合宿(3ヶ月)に入り、そのまま任地国となるネパール王国(当時)へ行ってしまうのです。
そして私には、ちょっと最近盛り下がってるとはいえ一応彼氏がいるのですから、その人を大切にしなくちゃいけない、もう一度ちゃんと見つめ直さなきゃいけないとも思い
そっか、これはきっと夢なんだ。
世間で言われるゲレンデで普通の人がカッコよく見えるのと同じ。
うん、これは「バングラマジック」に違いない!
そう自分に言い聞かせつつ、最後の晩餐の一瞬一瞬を
大切に過ごすのでした。