豪雨災害③ | ハナミズキ✿のブログ

つづき。

 

7月10日

家の人間のお友達の情報によると、もう水が引いたとのことで、

避難所でお昼のおにぎりを頂いてから、泥水で汚れたであろう

家の片付けや掃除をするべく家に戻りました。

 

 

前のページから

8日はこんなに浸水していたのに

 

10日には本当にすっかり水が引いていました。

8日以降ずっとお天気だったためか、もうすっかりカラカラ。

泥ではなく砂まみれでした。

 

 

 

水が流れてきてた時、水流はあまりなかったけれど、

どこからともなく木材が流れてきていました。

 

 

靴やグローブなども流れてきたようです。

 

庭に散乱した用具や納屋の物を洗おうかと

庭の水道をひねりました・・・・・が、断水していたことを忘れてました。

 

しかたないので散乱していたものを一箇所にまとめ、

家の中の玄関や砂だらけになったフローリングをほうきで掃き、

コンセント類の砂を落とし、和室のたたみを上げて外に干しました。

浸水といっても部屋中に水をこぼした程度のものだったみたいで

運よくコンセント類は浸かってませんでした。

 

夕方、九電工の送電トラックからの電柱送電により電気がつくように

なったので、避難所には戻らないことにしました。

扇風機をつけたまま寝ることができ、ようやくまともに睡眠が

とれました。

送電トラックはそれから何日も朝晩関係なくずっと留まってて、

電気を送り続けてくれました。

 

九電工さん本当にありがとうございました。

 

場所によっては関西電工さんの送電トラックから電気をいただいた

ところもあるようで、他県の会社の素早い被災地支援、

とても助かりました。本当に感謝です。

 

 

7月11日

近所の方に給水や食料の配給場所を教えていただいたので、

もらいに車で向かいました。

 

 

 

 

 

 

お店が全て泥水で浸かったとのことで全ての商品がダメになり、

地域の生活を支えていたお店が壊滅状態。

地面が土であったかのように見えますが、もともとはアスファルトでした。

 

 

 

給水と配給を受けたので飢えるとかのことが全くなく、

本当に本当に助かりました。

これらの物資は行政のものではなく、ボランティアの方々による

配給、給水でした。

 

 

在来線はまだ相変わらず土砂の撤去ができておらず、開通の見込み

がたってません。広島にいるのに、広島駅へ行くには新幹線でなけれ

ば行くことができません。普通に特急券も買わなければなりません。

 

道路の泥は、ほとんど取り除かれたか砂として舞い散ったので、

普通に車で通れるようになっています。

ただ、砂が舞っているので、砂を吸い込んだり目に入らないよう、

マスクをしめがねをして外出するようにと地域ケーブルテレビでは

呼びかけられています。

 

断水も解消し、中国電力も復旧し、食料を遠くへ買い物に行く以外

は、ほぼ元の生活に戻れました。一階は微妙に砂だらけだけど。

 

 

しかし、広島で熊野町や坂町や小屋浦などの甚大な被害

地域では、まだまだ瓦礫の撤去、災害ゴミの撤去作業中なので、

仕事や家のことや甥っ子姪っ子ちゃんの面倒がない時とか、

ボランティアできることがあるかわからないけど行かなきゃな。