「当たり前」に感謝できる人に

 

昨日、娘は体調を崩し、アルバイトを休んだ。夜、娘の部屋から泣き声が聞こえてきた。

 

僕は驚いて、部屋をノックした。娘に理由を聞くと、「役に立てない自分が情けなくなってしまって」。

アルバイト先の女性店長は、仕事のことより、娘の体を心配してくれたそうだ。

彼女の対応にも感極まったのだろう。

 

泣いている娘の肩を抱き、僕は17年前の出来事を思い出した。

 

その日、友人たちが手料理を持ち寄り、わが家のバルコニーに集まった。

がん闘病中の妻は、珍しく、ほんの少しだけお酒を飲んだ。

ほろ酔いの妻は上機嫌だった。三線を持ち出し「童神」を歌った。

 

日も暮れて、台所で片付けをしていると、そこに妻がいないことに気づいた。

娘と一緒に探した。

 

妻は襖の向こう側の和室で横になっていた。

「どうしたの?」。理由を聞くと、妻は涙声でこう答えた。

 

「みんなが片付けをしてくれているのに、体がきつくてできない。普通のこと、当たり前のことができない自分が情けなくなってしまって。ごめんね」

 

4歳の娘にも伝わったのだろう。

小さな手で妻の頭をなでていた。

 

何気ない日常のエピソードだが、その光景は今もはっきりと目に焼き付いている。

朝、目覚めること。息をすること。目が見えること。ご飯が食べられること・・・。

往々にして、僕らはそうしたことを「当たり前」と軽く考えがちだが、その「当たり前」が土台にあってこそ、人生は成り立っている。

 

娘には、「当たり前」のことに感謝できる人になってほしい。

僕もそうでありたい。

 

自宅での最後のツーショット。この2週間後、妻は天国に旅立った(2008年6月28日)

 

以下、妻のブログ。

 

自分のためにも生きてください(2008年1月17日)

 

本日は、年に数回訪れるブラックホールに入る日。

※造影剤を注射して行うCT検査

 

何度体験しても嫌なものは嫌。

昨夜からブルー。

でも、ブルーになったからと言って食欲が減るはずもなく。

昼ご飯は食べられないから、朝ご飯をヤケ食いしました^^;

 

昨日の続き。

人生のブラックホールに入る時期。

それは、いつでも、誰にでも訪れる時間。

闇の中で、もがきます。

 

寝たきりで、家族のために、お客様のために、お茶一つ煎れてあげられなかったあの日。

家事がまともにできなかったあの日(注:今もまともにできてないけど笑)。

両親、夫、子どもに負担をかけてしまったあの日。

身体にあったものが、突然なくなったあの日。

できていたことが、できなくなったあの日。

社会から置いてけぼりにされたような、疎外感を味わったあの日。

声が出なくなったあの日。

食べることができなくなったあの日。

エトセトラ、エトセトラ。

 

そして、ブラックホールから、どのように抜け出したらよいのか。

わからなくなったあの日。

 

でも、闇の中に、必ず小さな明かりが灯されます。

決して一人じゃないこと。

支えてくれる人がいること。

あなたが生きていることで、励まされている人がいること。

あなたが生きるためなら、自分の命さえ惜しくない人がいること。

いつも思い出さなくていいから。

こころのすみっこでいいから、止めておいてください。

 

私は、あなたが作ってくれたコサージュを今日も襟につけ。

ゆうゆうと、スキップしながら、ブラックホールに吸い込まれてきます。

写真も盗み撮りしてこようかな。

 

どうせするなら、検査も入院も治療も楽しく、ね。