建勲神社から船岡山の探索を開始~
船岡山ってこんな感じで大徳寺の南にぽこっとあるんです。
平安京ができた時は、この山と京田辺市の甘南備山のつないだラインが朱雀大路になりました。
都の北にあって風葬の地でもあったよう。
建勲神社の下を西に歩いてみた
あ~、この辺の地質、ブラタモリでもなんかやっていたような・・・
隆起した感じ?
山頂の広場に来ました。
この塔は??
Googleマップには「サイレン塔」とあって何のサイレン?と思っていたのですが、この翌日、探鳥会があって、長老に聞いたら「戦争中の空襲警報のサイレン」だそう。
びっくり
写真ではわかりにくいんですが、南には京都タワーや伏見桃山城が見えます。
本当にいい天気
広場にかわいい子が
5か月って!
まだまだ落ち着きのない年ごろで歯が乳歯で甘噛みされるちかちかで可愛かった~
北方面を見た今度は「船形」が
山にはあちこち野仏が
ちょっと降りてみる
下の広場に今度はラジオ塔がありました。
応仁永正戦跡舟岡山
ん?んん?
応仁ってのはいわゆる「応仁の乱」のことで、ここは西軍の陣地になった。
永正ってのは「永正の船岡山合戦」(細川高国・大内義興VS細川政賢)のこと?
応仁は(1467~1469)、永正は(1504~1521)
なので、別の戦。
つなげて書くと誤解が生じません??
めっちゃ充実した船岡山探索となりました。
さて、お腹空いた~
なんかお店あるかなぁ?
続く~