大河ドラマ、ついに私の女神、定子さまが入内あそばされたんですね!

もう姑、羊詮子さまが威嚇なさってたとか。

 

でもこれから道隆さまが没するまでの間、この世の粋を極めた栄耀栄華、一条帝との歴史に残る愛と幸福に満ちた日々が流れていくんですね。

中の関白家没落後、どれほど無惨に叩きのめされてもついに誰にも引き裂くことのできなかったお二方。少納言ちゃんが命の危険を犯してでも枕草子を書き、紫式部先生が源氏物語に書かずにはいられないほど心を掴まれた愛。日本文学のみならず、今では世界が認める文学の最高峰を二冊も書かせた一条帝と定子さま。

テレビで見られる皆さま、うらやましい~~~~。

 

あ、枕草子ね。山本淳子先生によると、定子さまの生前に書き始められたけど、少納言ちゃんが宮仕えを辞めた後にも単発的に流布してたそうです。

ということは道長の天下になってから。

だとしたら、せっかく追い落とした邪魔者定子さまの美徳を宮中に、特に一条帝に思い起こさせ、知らしめる枕草子は反逆罪もいいところ。退職した一貴族など道長が舌打ちしただけで「御意!」と走る者がいくらでもいたでしょう。

それを全く敵意を感じさせず、要旨を隠しながら(でもちゃんとある!)おもしろおかしく書き上げた少納言ちゃんは、さすがです。

 

だけどここまでの大河ドラマだと、道長こういうことする人非人にはなりそうもないよね。どう進めていくんでしょ?まあ、その大河ドラマの脚本任されるほどの先生ですから、ねえ?

私の定子さま。描いてみました。素のお絵描きです。

田辺聖子先生の「むかしあけぼの(小説枕草子)」のイメージ。明るくて、楽しいことに敏感で、いつも笑顔を浮かべている。

 

 

 

瀬戸内寂聴先生も定子さま書いてらしたけど、私寂聴先生は枕草子読んでないと思います。聖子先生の定子さまとは真逆もええとこすぎるから。

 

 

なんで本がさかさま?私がやったんとちゃいますよ。

煩悩夢幻は和泉式部の話。その中で「え?だれのこと言うてるの?これって定子さま?別人じゃなくて?」と思ったのが30年以上前。

月の輪草子は老尼になった少納言ちゃんの追想…っていうから買ったらえらい薄い本。

しかも少納言ちゃんや定子さまと関係ない、あの時代の別の人達の話ばっかり延々と。「これ少納言ちゃんの話じゃないよね?だまされた?」寂聴先生晩年の本だとしてもあんまりでした。

枕草子読まないで少納言ちゃんのこと書いたんだ。(←断言)読んだとはおっしゃってないし、もし聞いたら「読んだわよ!失礼な!」って激怒されるでしょうが、読んでないのくらい分かるよね。まあ、読まずにあれだけ書けるのはさすがと思います。えらい薄い本でしたが。(しつこい)

 

一条帝の辞世の句。 

露の身の風の宿りに君をおきて塵を出でぬることぞ悲しき

(御堂関白記では「草の宿り」だそうです。)

 

道長は彰子さまにあてた句と言い、藤原行成くんは定子さまにあてた句と言う。真相は一条帝のみ知るですが、私は当然定子さま説を支持。

だってこれ、定子さまに対する返歌ですやん~!!

 

定子さま辞世の句。

煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれと眺めよ

 

定子さまを失った時の一条帝、どれほどお辛かったでしょう。身替りで埋められるようなものではなかったでしょう。そしてそれは源氏物語にも深く色濃く反映されたと。

(追記:実際見たから分かるけど、最期はこん睡状態になるし、それ以前も話すことさえ体力を振り絞るようになる。一条帝がそういう状態の時に詠まれたから、聞き取れず単語の相違が生じた。と言うことは、それほどの時にでも言い残さずにいられなかった句だったんですよ。おいたわしい…!)

 

ねえ、脚本家の先生、今後どう料理なさるおつもり?!