安全安心の場 | 蓮華の笑顔で花道を飾る!

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日常の思いの言語化習慣

僕は小学校を3つ渡り歩いた。

 

1、2年生は病気がち。かつ、家庭も安定しなかった。だから記憶すらほとんどない。友達は一人も思い出せない。

 

3,4年生は肥満時代。自転車も無く、乗れもしなかったので、自転車の友達の後を肥満児が一所懸命に走って追いかける。もちろん、置いて行かれる。今思えば、なんだか泣けるな(笑)

 

5,6年生は田舎の学校へ。優しい友達はちょっとだけ都会から来た風変りな肥満児を快く迎えてくれた。背が伸びて(そのまま止まってしまうが)肥満児からガタイの良い人になった。

 

幸いにも転校が功を奏して、段々自分にとって環境が味方してくれたが、そのままの環境にいたら、今頃ボーガンでも振り回しているオッサンになっていたかもしれない。

 

人は自分がいる環境によって大きく左右される。

 

ましてや子どもであれば尚更だ。

 

自分という人間を受け入れてくれている事が肌で分かるような、いわゆる安全・安心の場に身を置くのか。

 

何か、自分のやることなす事がいつも裏目、自分だけが受け入れられていないような気がする、そんな不安定な場に身を置くのか。

 

「人間関係は鏡。そして、鏡は先に笑わない」

 

そうだよね~、そうなんだよね~、うん。

 

違和感がある、なんかしっくりこない。

 

・・・そんな時は、変化のチャンス!

 

落ち着いて、自分のまわりを見渡してみよう。

 

沢山の感謝すべきことがきっとある。

 

受入れていないのは「相手が」ではなく、「自分が」だったりもする。

 

いや、大体そうだと思う。

 

だからこそ僕は、僕なりの安全安心の場を提供できるようになりたい。

 

何かしら自分の思いを上手く表現できないような人が、安心して自分を出せるような、そんな安全安心の場作り、仲間作りが出来たらいいなと思う。

 

ブログネタは沢山あるはずなのに、今日は随想( ´艸`)

 

でも、きっと、その「場」は作る。必ず作る。