凍結卵子の保存期間が終わった翌朝、
夫が「昨日までだったね。毎月何かしようか?」と言ってくれました。
その日にちは、息子の誕生日の翌日になります。
息子が我が家に来てくれた事に感謝し、
迎い入れる事の出来なかった子の為に、
牛乳をお供えしようという事になりました。
それは義母が、
お墓を整理してたら、
子どもが沢山亡くなっているのが分かり、
仏壇に牛乳を供えるようにしたら、
お墓の整理が終わった後に、
沢山子ども達に囲まれる幸せな夢を見たという話を聞いたからです。
きっと供養してもらえて嬉しかったんでしょうね。
息子が産まれた時は泣かなかったのに、
移植でお腹に戻ってきた時は、
人工的な行為でありながら、
神秘的で嬉しくてウルッときた事を今でも思い出します。
凍結して保存していた卵子を移植したとして、
着床しなかったかもしれませんが、
私達の都合で胚盤胞にまで育ったのにお迎え出来なかったので、
せめてもの弔いの気持ちをあらわせたらと思っています。
私の中には、
人の生に手をかけたという思いがあり、
不妊治療は、
そういう事なんだと改めて感じています。
胚盤胞の凍結保存期間を延長し、
もう少し様子をみる選択もあったのですが、
今後の事を夫婦で良く話し決断しました。
そしてそれにより、
今後の事が明確になった様にも思います。
コロナ禍で、
時間に余裕ができたり、
周りで起きている出来事から、
自分を見つめ直す機会も出来ました。
そして息子と過ごす日々は、
大変な事もあるけれど、
喜びに溢れています。
兄弟はいないけど、
頼れる従姉妹が沢山います。
前回の記事はいつもより沢山の方に読んで頂けたようです。
文章化した事で心の整理がつきました。
読んで下さってありがとうございます。