タイトルは本文には何の関係もない。
【世界のはしっこで教育を叫ぶ】も適当につけた。
ブログのタイトルなどというものは、特に意味などない。気分である。
「家庭に光を 少年に愛を」とは、私が今ハマっている、『虎に翼』というドラマに出てくる多岐川幸四郎という人物のモデルになった人から引用したものである。
https://www.nira.or.jp/paper/research-policy-note/2024/5.html
彼の言葉を引用するにあたり、たまたま見ていた記事がまた良い。
モデルとなった宇田川潤四郎は、家庭裁判所の設立や子どもたちへの支援に命を懸けていた。
『虎に翼』のドラマでの彼の言葉は、どれも胸に響く。
以下、ドラマより引用。
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彼らのために残りの人生を全て捧げよう。未来に種まく仕事をしよう。もう逃げる自分を責めたくないから。
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多岐川は過去、自分が死刑判決を下した死刑囚の執行に立ち会い、怖くなり、重大事件を扱う場から逃げた。
その後、戦後に日本に戻り、子どもたちの姿を見て、子どもたちの未来のための仕事をしようと決意し、家庭裁判所の立ち上げを担うようになった。
これもまたドラマより。
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「人間、生きてこそだ。国や法、人間が定めたものは、あっという間にひっくり返る。ひっくり返るもんのために死んじゃならんのだ。法律っちゅうもんはな、縛られて死ぬためにあるんじゃない。人が幸せになるためにあるんだよ。幸せになることを諦めた時点で矛盾が生じる。彼がどんなに立派だろうが、法を司る我々は、彼の死を非難して怒り続けねばならん。その戒めに、この絵を飾るんだ。」
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学校の先生はとても辛い。
辞めたくなるときだってある。
保護者や子どもに気を遣って、日々の業務に追われて。
自分は何をやっているんだろう、何がしたくてこの仕事についたのだろう。
そう考えることもよくある。
それでも、そういうときは自分が教師になると決めたときのことを思い出す。
家が貧乏で、金もなくて、やりたいことが思いっきり出来なかったころのこと。
それでも無職の父を抱えながら、出来る限りのことをしてくれた母のこと。
そういう家庭に寄り添ってくれる先生など、誰もいなかったこと。
大学に入り、被差別部落の小学校に教育実習に行き、自分だったらこの子たちの気持ちに寄り添える、と感じた。
貧乏で、母子家庭育ちで、学校や先生、決まり、くだらない受験勉強が嫌いで、あんまりやる気ない、そういう先生が一人くらいいれば、自分が子どもだったら嬉しい。
一人でも、そういう子にヒットするといい。
その子の生きる意味になりたい。
誰かを幸せにしたい。
この先生がいるなら、会えるなら、学校行ってやってもいいか、と思わせたい。
この思いは、不思議と新卒の頃から変わらない。
あーーー、なんか熱く語ってて恥ずかしくなってきた。
とにかくそういう、「熱い思い」ってやつを、『虎に翼』を観てると思い出すのです。
みんなも観てね。
そゆわけで、「家庭に光を 少年に愛を」。なわけ。
「愛」とかいう言葉、薄っぺらくてあんまり好きくない。
けど、この多岐川さんに言われると、すんなり受け入れられるんだな。
「あぁ、そうだな。教育って愛だよな。」とクサいことを考えたりするのだ。
家庭は教育と繋がっている。
安心して学べる環境を、みんなに作ってあげたい。
その環境を大切にして、学校で出来る限りのことをしてあげたい。
だから私は先生をする。
嫌になって、辞めたくなるまではそうしようと決めたのである。
そしてそれは、アフリカでも、京都でも、あんまり変わらないような感じもする。
あ?ドラマの話楽しくなっちゃった。ちゃうちゃう、今日行ったイベントについて、#2では書くんだい。
今日はとっても雨で、全然出かける気分になれない。
JICAの説明会でチラシを貰い、行く気でいたのに。わたしあるある。
予定が近づいてくるとやる気を失う。
一旦外の天気を見て、諦めてゴロゴロする。
しかし5分ほどで思い直し、なんとか外に出る。
雨は思ったほどではなかった。
阪急、地下鉄に乗り、丸太町へ。
駅から歩くこと20分。暑くてムシムシする。
まだかなぁ。
音楽を聴きながら歩くので、それほど辛くはない。
歌なんか歌っちゃったりして。
堀川通りを北に向かって歩く。
堀川通の丸太町以北をじっくり歩いたことは実はあまり無かったようで、見慣れない景色。
堀川沿いに枝垂れ桜の葉がとても美しい。雨に映えますな。
のんびり歩いていく。
シャッター商店街のような、寂れているがどことなく味のある道。
屋根もあるので安心。
人だかりを見つける。マラウイの文字。これか。
イヤホンガンガンにしているので、おじさんに話しかけられるが、何を言っているかほぼ分からない。
とりあえず中に促されているような感じがしたので、そのまま流されて入る。
人が多い。そして暑い。
こんなに盛況だとは。
中では、日本国際民間協力会NICCOによる講演が行われていた。
少し遅れて入ったが、話を理解するのにはあまり問題はない。
話をしているのは、大豊盛重さん。
https://kyoto-nicco.org/join/index.html
マラウイの素敵な写真がどんどんスライドに出てくる。
マラウイはアフリカ南部に位置し、国土は北海道と九州を合わせたくらい。
マラウイには大きな湖があり、その大きさはなんと琵琶湖の40倍もあるそうだ。でか。ほぼ海やん。
また、マラウイではいろんなものを食べる。バッタ、ネズミ、ヤギ。
お腹壊しそう。なかなかインパクト強め。
また、マラウイの家はレンガで造る。
レンガを3つくらい頭に乗せている人の写真。
どうやってるんだ?
1 レンガを回りに積む。
2 その回りを土で固める。
3 あたためて土を固める。
だそうで、よく分からない。ほんまにそれで家になるんか?
その後は、彼が携わった事業?ボランティア?の話に移る。
彼の団体では、特定の地域に対して水やトイレなど様々な側面から少しずつアプローチをしていく。
そうではなく、マラリア一本に絞って、蚊帳を配る!という支援のパターンもあるらしい。
ボランティアって色々や。
彼のところでは、まずトイレ。
マラウイのトイレはぼっとん便所タイプで、雨が降るとその穴が溢れて水質が悪化し、下痢に苦しむ。
その対策のために、エコサントイレなるものを開発·普及中。
なるほど。トイレはいつだって生活に必要だし、侮れないな。
さらに、井戸の開発·維持のための活動もしている。ポンプ式の井戸を普及させる。
また、ポンプ式の井戸では水を汲む際に漏れる分の水がもったいない。
その水を敢えて農業に使うのだ。
ベストだったのはバナナ。
理由はほったらかしでも育つから。
それは大事やな。
そういう話を聞いて、とても勉強になった。しかし疲れたし狭い。眠い。話が長い。辛いぞ。
と思ってふと横を見る。
あ、JICA京都デスクの西川さんや。
今日もいはったか。
ん?
その横。
金田先生おる。
えー!うわー!ほんものや!嬉しい!
高校の時化学を教えて貰っていた金田先生。
今年の春までモザンビークにJICAで派遣されていた。
モザンビークで化学を教えていて、楽しそうな様子をいつもFacebook で見ていた。
今年帰ってきはったんやなー、わたしもJICA行こうと思ってるし、どっかでまた話聞けたらいいのになーと思っていたら、まさかのこんなところで。嬉しいな。そして全然変わってない。
今すぐにでも話しかけに行きたいところやが、講演の最中やし、あまりにも会場がギューギューすぎて身動きが取れない。
とりあえずちょくちょく気にしながら、講演を聞く。
ほぅー、なんや元彼に街で偶然会ったくらいのビックリ度や。
2人目はJICA派遣された中西知代さん。
小学校教員を4年した後、退職してニュージーランドに語学留学。
その後マラウイにJICAで派遣されるが、コロナ流行のため強制帰国。
彼女は教員養成大学で、将来教員を目指す学生に指導をした。
小学校勤務ではなく、そういう道もあるのだな。色んなパターンを知って、それぞれの良さも聞いた上で、自分に合うのはどんな要請か考えたいな。
会が終わり、写真をぼやっと見ながら金田先生に話しかけるタイミングを探る。その間色んな人が話しかけてくれた。
コミュ力おばけがいっぱい。
話色々したかったけど、金田先生が気になって話半分。とても失礼だったように思う。申し訳ない。
おばあちゃん、お姉さん、お兄さん、それぞれ話しかけてくださって(誰一人として名前が分からんのだ)、その内のお目目ぱちくりかわいいお姉さんがとても親身に話を聞いてくださった。
田中さん(仮)は、ドミニカにリハビリ師として派遣された。ドミニカはマラウイとは全然違う。経済的に発展中の国で、貧富の差がある。治安も良くない。
ホームステイでは、いくつかの家に滞在した。その内の初めの家では、お節介ママと合わなくて大変だった。
風邪を引いているのに、「出かけよう!外に出れば治る!!」と言われ、戸惑ったらしい。
ドミニカから帰った後は、VR治療の出来るベンチャー企業に勤務している。
そこを選んだ理由として、彼女はスペイン語が話せるため、スペイン語圏での店舗拡大に貢献出来ると考えたそうだ。
キャリアをしっかりと考えていて偉い。
わたしは特に何も考えていない。
また、要請にも色々あり、以前派遣があったところと、自分が初めてのところがある。
そのお姉さんの場合は、初めてのところがよかったからそこにした。
誰もしていないから、自由にできて良いそうだ。なるほど。
ボランティアを終えた後も、こういうイベントに定期的に参加し、ドミニカのこと、派遣のことを忘れたくないという思いがあるらしい。
自分もそう思うようになるのだろうか。
また、そういうイベントで私のように「ボランティアに行きたいかも?」という人と話をして、相談に乗れたらいいなという思いもあるそう。
それは良い考えだ。
あとはマラウイに派遣されたお兄さんと、ガーナに行ったお姉さん。
マラウイの湖は、レアな魚が獲れる。その額2万円で、現地の人の年収は日本円で3万円だから、ほぼ1年食っていける。
淡水×高所のため、ダイバー達の中でも人気な所だそう。
そんな訳で保存地区に認定されている。
あぁ、とにかく金田先生に話しかけなければ。あまり何を話したか覚えていないのはそのためである。
帰る前の金田先生とのコンタクトに成功。
無事話せて良かった。
写真でも撮れば良かったな。
それほどに会えて嬉しかった。
帰ってきて、元気そうな姿が見れて何よりです。
ほくほく、ニヤニヤしながら歌を歌って帰るのであった。
にしても疲れたな。
朝から食パンしか食べてないし、気圧も低ければ湿度も高いもんで。
その上ずーっと狭い部屋でぎゅうぎゅうになって固い椅子に座り話を聞き、その後も色んな知らん人と立ち話をしたんで、フラフラでさぁ。
帰りにウイダーinゼリーを食べて、無事帰宅。
帰ってみれば何てことは無い、今日のイベントに行って良かったなぁと心から思っている自分がいるのだ。
怠けたい自分との戦いに、今日も打ち勝てたことを誇りに思う。
これからも自分の敵は自分。
精進あるのみ。