一言も話さない子ども がいた。
少し前までは
お友達と楽しそうにおしゃべりをしていたのに。
何か大きな出来事があって
その子 の口を塞いでしまったのか。
それとも・・・
長い年月をかけて
心の奥にあるものを
表出させることが怖くなってしまったのか。
今日もまた
一言も話せない少女 がいた。
同級生との日常は楽しそうに過ごしているのに。
自分の気持ちを表現しようとすると
言葉が詰まって出てこない。
10分・・・
20分・・・
頑張っているのに声が出ない。
私は信じられないの・・・
そういう考えってもっともだと思っている。
現に私だっていまだ100%信じ切れていない
霧の中の世界だ。
証明することも
みんなで確認することもできないのだから仕方がない。
いつの日か
霊界と現世とをつなぐ電波が通る時までは
事実なんて誰にもわからない。
そして
そんな時が来るのかさえも誰にもわからないのである。
何年も前に私も話してみたことがある。
不思議だね・・・
本当かなあ・・・
わからないなあ・・
を気楽に共有したかったからだ。
不思議体験をちょっと話してみた。
私を含め3人同時に聞いてしまった
真夜中の広い駐車場での出来事。
視界に入る建物など何もなく
街灯すらひとつもない駐車場。
満場一致の不思議な体験。
「わ!」 なんて一声位なら
聞き違いということで納得しようと頑張ったはず。
でもそれは時間にするとおよそ10秒ちょっと。
その声は10秒ちょっとの間
私たち3人に話しかけていた。
性別も年齢も想定できるはっきりとした声。
距離にして3メートルくらい先にある声の主の存在。
私たち3人に向けられた声だった。
でもけして恐ろしい雰囲気はなく
50代後半くらいの女性が
星を探しに来た私たち3人に
何気なく話しかけてきた感覚を受けた。
しかもその声を聴いたこれら私の印象は
他の2人も全く同じ印象として受け取っていた。
何気に友人のぱこに話してみた。
不思議体験として話してみた。
当然といえば当然かもしれないけれど
それはもう爆発的全否定。
あるわけがない。
聞こえるはずがない。
何言ってるの。
霊界の存在ってほんとに怪しげ。
信じない人が多いことはもっともだ。
私だっていまだ信じ切れていないのだし。
それ以来私は口をつぐんだ。
この類の私の経験や疑問はぱこにはもう話せないと
口をつぐんだ。
きっとこんな話不快でしょうし話すべきではないと思った。
少女 は自分の気持ちを否定されてきたようだった。
最も自分を信じ
守ってくれるはずの大切な母親が
少女 の問題を直視せず
訴えも否定し
怒鳴るのだという。
次第に少女 は自分の心を表現できなくなってきて
周囲の大人が引き出そうと手を差し伸べてみても
言葉が詰まって出てこない。
どんなに苦しいことだろう。
どんなに孤独なことだろう。
一緒に楽しい時間を過ごせる人の存在は
生活に潤いを持たせ、鮮やかなものにしてくれる。
そしてそれ以上に
自分の心を理解してくれようとする深い懐の存在は
自分の存在意義までも確信させてくれる存在となって
たった一人であったとしても
誰にでも必要なのである。
それはけして
不思議体験に対して
耳を傾けてくれるなどということではなく
自分にとって理解できないことであったとしても
その人の心の内側を
理解したいと思う思いやりなのだろう。
私の良く知る小春おばあちゃん。
色白でほっそりした柔らかな笑顔が印象的だった。
全く時期を変え
複数のミディアムに聞かれたことがある。
色白で細身のおばあちゃんがいらっしゃいます。
この方は霊感が強かったのではないですか?
生前小春おばあちゃんが
ほんの数回話していたことを思い出した。
仏壇から声がするの。
怖い話でごめんね
話を聞きたいのだけれど
なんて言っているのか聞き取れないの。
その時
霊界を信じない・・・きっと怖い故
信じたくないのであろうお嫁さんのかこさんが
小春おばあちゃんを怒鳴りつけていた。
何言っているの!
またそんなこと言って!
聞こえるわけがないでしょ!
二度と言わないでください! なんて。
そのあとかな。
きっと聞いてほしかったであろう小春おばあちゃんは
それっきり口をつぐんでしまった。
私がちゃんと声をかけて
話をちゃんと聞いておけばよかったな。
だから色白で細身のおばあちゃんが
霊感が強かったこと
これまでしてきた経験を
私は何も知らない。
何も知らずにいることがとても悔やまれる。
寄り添えなかった自分がとてもとても悔やまれる。
今からでも遅くなどない。
私にとって理解できないことであったとしても
その人の心の内側を
理解したいと心から思った。
そして思う。
言葉が出てこない。
それはけしておかしなことでもなんでもない。
自分が自分を守ろうとしているだけなのだから。
そしていつの日か
何かの小さなきっかけで
話せる日がきっと来る。
そして自分に向けられてるひとつの愛を
感じられる時がきっと来る。