でも、そこに何だかわからない引っかかりを感じて動き出せない自分だった。
それを考えたとき、身体がなぜかきゅうっと縮こまるような、かたくなる感じがするのだ。
自分がやりたくてはじめる事なのに
どこか、とても正しくきれいにまとまっていい子ぶってるような…
そう、子どものころの私みたいな。
そんな時、とても好きなひとからあるお誘いを受けた。
それは、いいお話だし断る理由はないはずだったけど、やっぱり身体がどんどんかたくなり普通にしていられないくらい苦しくなるのだった。
そんな自分をごまかすことはできなくて、ごめんなさいとお断りを入れると、ほっとするのと同時に、ただただ悲しくてどうしようもなく不安でたまらなくなった。
断わったことは間違いじゃない。
じゃあ、どうしてこんな気持ちになるんだろう。
…何日もたったある日、わかったこと。
私は、大好きなそのひとの役に立ちたかったのだ。
そのひとに、
ほめられたくて
認めてほしくて
…よろこんでほしかった。
でも、同じくらいわかってほしかった。
そう、私はそのひとにお母さんを映していたんだ…
それが解った瞬間、涙があふれて崩れ落ちていく自分を感じた。
お母さんに笑っていてほしい。
お母さんに愛されたい。
そのために、もっとがんばらないと…
私のなかにあった、いちばん大きな罪悪感とそこからくる生き方を、まだ今も握りしめていた…
大好きなそのひとを通してそれに気づいたことは、例えようもないほど悲しくて、あの断りをいれた時の苦しさや不安、見捨てられてしまうのではという絶望感の理由がわかった。
こんな思いをするのは、もう本当にいや!
私は、私のために生きたい!
心の底からそう思えた瞬間、なぜか「両親から愛されていた私」という今まで感じたことのないほどのあたたかさと安心感が自分のなかに湧きあがってくるのを感じた。
書き換わるってこういうことだろうか?
とても不思議だけど、確かな感覚だった。
大好きなそのひとに出会って、今まで言えなかった苦しさも寂しさもすべて吐き出し、汚い感情も恥ずかしい本音も、包み隠さず見せてきたのだから…
それでもいいと受け入れられた私は、
もう一度、この世に産み落としてもらったようなもの。
本当は両親に愛されていた…
ただそれだけを、ずっと知りたかった。
それが、本当の私に還るということだったんだと思う。
それを見せてくれるひとを、長い間 探し続けてきた私だったのだ。
私がわたしのままで、
ひとを愛しながら、愛されながら、
ここからはじまる人生を楽しもう。
出会ってくれて ありがとう。