[ここでの話]

神さまの愛しか起きないようになっていると言う話になります。


自分に起きた出来事が神さまのどう言った愛か知るって事です。



[神さまの愛しか起きないようになっているとは?]

辛い出来事、嫌な出来事が起きたら、まず頭で「神さまの愛だ」と捉えます。

その後に、「神さまのどんな愛かな」と起きた出来事に、愛である根拠を探します。

愛である根拠が分からない場合には、「神さまのどんな愛かな」を頭の片隅に置いて、余裕のある時にまた愛である根拠を探します。

分からない場合は、時間を空けて、時々探し続けます。

すると、数年後とかに、自分に起きた出来事は「こう言う神さまの愛なのか」と分かる日が"必ず"来ます。


これらを習慣化したら、何が起きても、現実は「神さまの愛でしか起きないようになっている」となり、神さまとコミュニケーションが取れて楽しくなる訳です。



[まとめ]

自分には、神さまの愛しか起きないようになっていると言う話でした。

それで、自分に起きた出来事に対して「これは神さまからのどんな愛だろう?」と考えたら、忘れた頃や数年後、または人生を終えた後に、「なるほど、これは神さまのこう言う愛だったんだ」と"必ず"分かります。


そして、自分に起きた出来事に、いつも「これはどう言う神さまの愛かな?」と問うてみると、神さまとのコミュニケーションが取れます。


現実で自分に起きた出来事とは、神さまの愛でしか起きないようになっているからです。

ですから、現実とは全て神さまの愛です。