「嫌われる勇気」第二夜より


「哲人:対人関係を競争で考え、他者の幸福を《私の負け》であるように捉えているから、祝福出来ないのです。」


確かに、義理の弟である妻の妹の夫のずば抜けた出世を祝福できない自分がいます。

義理の母が称賛しているのを聞き、どこか比較されたようで自分には価値がないのだと苦しみ、劣等感を感じますし、劣等コンプレックスを感じます。

また、優越プレックスからか余裕がないからか、先輩のHさんは僕に口調がキツいです。


「哲人:人々は私の仲間なのだと実感できれば世界の見え方は全く違ったものになります。世界を危険な場所だと思う事もなく、不要な猜疑心に駆られる事もなく、世界は安全で快適な場所になります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。」


人々は皆私の仲間なのだと実感できれば、確かに対人関係の悩みは激減するでしょう。

ただ、過去の職場にいたパワハラ・モラハラな同僚が原因の一つで胃潰瘍になったり、双極性感情障害の原因になった事実があり、明らかな敵意を持って異常で執拗な攻撃を受けていた体験から、皆仲間だとは思えないのです。

だから、社会は厳しく隙を見せたらいつ攻撃されるかわからないという不安から、キツい人や余裕のない人に対して構えてしまいます。

これは、過去を教訓としているからで、成長でもあるけど、トラウマでもあります。


「哲人:人は、対人関係の中で「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。」


まさにそうだと思います。

さっきも4時からの習い事のテニスに子供を連れて行ってくれる?という妻の言葉から、4時に家を出発すればいいのか、早く出過ぎてもダメなのかと思い、3:55までブログを書いていると、「もうテニスの時間過ぎてる!4時から始まるのに!3:45にあと10分でテニス行ってねと送ったやん!」と妻は怒っていて、僕は「解釈の問題やろ、4時に家出たら良いと思っていた」と冷静に返したのですが、妻は怒っていてLINEの返信が来ません。

これなんてまさに自分が正しいと思ってるから、権力争いを制する事を目的として怒りを捏造しているのだと思います。

権力争いには乗らずに、右から左に流す事が正解で、妻も仲間だと思う事がアドラー的には正解なのでしょう。


「誤りを認める事、謝罪の言葉を並べる事、権力争いから降りる事、これらはいずれも負けではありません。」


僕はすぐに謝る方ですが、謝れない人っていますよね。

自分のことは棚に上げて、人の短所を探してはつつく人。

人の事を飯の食べ方から文句を言っていて、あいつは左手も使わずに犬みたいに食べている!と言っている本人が左手使わずに犬みたいに食べているのを見た時はジョークを言っているのかと思いましたが、本気で言っていたのに気づきビックリしました。

周りをばかり見て文句を言い、自分を俯瞰して見れない恥ずかしい結構年上の後輩を見てからは、人は年齢ではないなと確信しました。


アドラーが定義する人生のタスクはかなりハッキリとした目標で、行動面の目標は

①「自立する事」

②「社会と調和して暮らせる事」

心理面の目標は

①「わたしには能力がある」という意識

②「人々はわたしの仲間である」という意識


なんだかわからないですねショボーン


アドラー心理学は、「勇気の心理学」であると同時に、「使用の心理学」


また、わからないです。


原因論的なトラウマに翻弄されるほど我々は脆弱じゃなく、目的論の立場に立って、自らの人生を、ライフスタイルを自分の手で選ぶ。

我々にはその力がある。


目的論から言えば、そうでしょう。

自分の気質も変えられる。

自分が変われば、おのずと周りも変わらずにはいられない。


第二夜も濃い内容で、なかなか全てを理解できないでいました。