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自分癒し実践者のFutakobuです。
今回も三次元的話題。
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ひとり親と公営住宅
今回は「民間アパートゲットしたその後」ってお話。
前回の続きですね。
離婚後、数年間居候させていただいた実家からやっとやっと生まれて初めて自分の住まいを持つことが出来ました。
こんなこと、離婚しなかったら経験できないことでした。
(実家は私が結婚するまで実家暮らしを卒業させてくれなかったので)
両親はかび臭いとボロクソに批判したアパートでしたが、私にとってはお城でした。
好きな時に好きなだけ眠れる。
お風呂もトイレも好きな時間に入れる。
テレビも好きな時に好きなだけ見ていい。
親の生活ペースに合わせて私の行動を制限しなくて良くなった。
一人暮らしならともかく、家族で暮らすにはちょっと設備も古いし、全ての部屋にエアコンが付けられず、夏と冬は結構過ごしづらいと、暮らし始めていくうちにちょっとずつ問題は出てきましたけど、それでももうここで限界まで暮らすって思っていました。
限界まで、というのは経済的にという意味で。
築25年以上経過していて、間取りや立地の割に家賃がまあまあ安かったですが、それでも私の当時の給料の手取り3分の2近くを占めました。
子供がいるとこれ以上安い物件を借りるのが難しいこともありました。
当時は二人が小学生でまだ大きく教育費がかかっていないため、実家から独立したことによって支給されるようになった各手当などを含めて家計はトントンって感じでした。
このまま子供たちが中学校までは今の住まいでもなんとかなるけれど、上の子が私立高校に進学することになったらこの家賃を払い続けることは難しくなるだろうなって思っていました。
本当に困ったら、今より家賃相場の低い土地へ引っ越せばいいかなって。
当時は子どもたちの大学までの学費を自分で全部まかなえるとは思っていませんでしたし、だからこそ少しでも学費の足しになるよう今ある蓄えを取リ崩すというのはできる限り避けたかった。
なので、自分の住まいを確保しても以前よりはゆるい気持ちで欠かさず公営住宅の応募はし続けていました。
この頃は今の住まいの10km圏内のところを狙っていました。
でも、実家を出る時のような焦りなどは全く無く。
いつかもっと安い家賃で住める場所が見つかればいいなくらいの気持ちでした。
そんなある日。
引っ越してから1年足らずで東日本大震災がありました。
地震があったときは会社にいました。
自宅アパートはコップ一つ倒れず、直後は風呂場のタイルがひびが入った程度でした。
しばらくしてから寝室にしていた和室の壁紙にカビのような黒い筋が浮き上がってきたので、壁も少しヒビが入ったのかも知れません。
角部屋だったこと。家具の置き方も工夫していたことでこの程度で済んだのかも。
ただ、このまま何年も住み続けていたらどうなっていたのかはわかりません。
で、被災者に臨時の住まいとして公営住宅を提供することになったため、震災後は公営住宅の募集も止まりました。
数カ月後に再開したので、またゆるく応募することにしたんです。
そして忘れていた頃、「資格審査対象者になりました」というはがきが届いたのです。
「資格審査対象者」とは、あなたは抽選に当選したから本当に入居資格があるのかを審査しますよ。というものです。
実質「アタリ」ですね。
審査があったのは11月。
入居は翌年の自治体から指定された冬の日にあっという間に決まり。
民間のアパートは2年も住むことなく引き払い、今の住まいに暮らすこととなったのです。
この頃はまだ引き寄せの法則というものを知りませんでした。
なので、自分が引き寄せたという自覚もなく、今でも何が決め手だったのかがさっぱりわかりません。
実家を出る前の日々家の事ばかり考えていて、民間アパートを引き寄せたのと、
とりあえず満たされた住環境で、焦りも苛立ちもなくより良い住環境である公営住宅を想定よりものすごく早く引き寄せた気持ちは対照的なんですよね。
でもどちらも引き寄せた。なぜ?
今でもこの2つの引き寄せの分析は出来ておらず、別のことの引き寄せも上手く行っていないので、謎だらけ状態です。
今後引き寄せたいなと感じるのは、ライフワークと真実のパートナーです。
それでは
お読み下さりありがとうございました。