去年から私と友人の分もチケットを取ってくれていたYさんご夫婦。
とっても楽しみに待っていました!!
小さい頃に読んでいた話とはちょっと違うヘンゼルとグレーテルを体感できました。
単に「観る」ということより、
まさに「感じ取る」ことができた初めてのロイヤルオペラハウスのバレエ観賞でした。
記憶が鮮明なうちに、持ち帰ったそれを私なりの解釈で紐解いて、もう一度楽しんでみようと思います。
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「皆が欲しているのは愛情」
今自分が親になり家族という小さいけれど強い仲間を持てたことで、改めて見る「愛情」とは?
ヘンゼルとグレーテルは親の愛に飢えていた。時々は優しいけど酒浸りの父親も身勝手な継母も好きじゃなかった。
心の中で生き続ける母の姿を感じてははにかんだ。でも愛されない現実がどんどん子供達を迷いの道へといざなう。。
家を飛び出して見つけた小屋は子供達の好奇心をくすぐる。知らずのうちに何かに引っ張られていることにも気づかず、、、
そこで出会った大人になれない大人。
彼が幼少時代から抱えた悲壮感、そして抜けきれない幼児性、それは幼少期に親に甘えられなかったさみしさからくるものだった。
愛されたかった、が、愛されなかった。母が愛おしくそして憎らしかった。
なんで僕を愛してくれないの?
母親を一人占めする手段に出てしまった。
そんな彼が抱える心の闇が、子供達の持つ孤独と一気にリンクした。
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他人であれ人は孤独を共有したがる生き物のように思う。
そうして「仲間」を見つけたい。
「家族」じゃなくとも、通じ合える同じ悲しみがあるなら、いくらでも埋めあっていけるのかもしれない。
それほど人というのは誰かに寄り添って、そして同情して、優しくして、されて、そうやって支え合う弱い生き物だと思う。
最終的にヘンゼルとグレーテルが無意識に選んだ心の拠り所は、姿のない母でもなければ、子を見捨てた父でもない、他人であれど同じ心の傷を負った彼だった。
物事の良し悪しや損得感情のない純真無垢な子供が求めるもの、、、、。
こっちだよ、と真っ直ぐな愛情で導いてくれる保護者がいてこそ、人間は育つんだと思う。
生まれてきた小さい命には、まず愛情を与えることから。。。。シンプルで当たり前のことだけど、この世の子供達がみんなそうではない現実。
歪んだ大人がまた同じ過ちを繰り返しては孤独の連鎖は終わらない。
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今回こんな素晴らしい機会を下さったYさんご夫婦、そして一緒に時間を共有してくれた友人にすごくありがたい気持ちでいっぱいです^ ^
セリフのないバレエの世界、はまりそうです!
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