新年早々に日本では非常事態が続き、まとまった記事が何も書けないまま、

すでに3月になってしまいました!

いやほんと、1月は行ってしまって、2月は逃げてしまったので、

3月が去ってしまう前に何か軽めに書いておこうと思います。

 

日々の過ぎるのがますます早くて、いつも覗いているブログとか、

知らないうちに記事が溜まっていて、どうやったらあんなに書けるんだろうと

感心するというか、読むほうで追いつくのに必死というか。

 

その理由の一つは、ユーチューブとか、勝手に上がってくるから、

ついつい長時間見てしまう、というのもありますよね。

で、その一つを見て思うところがあったんだけど、

コメント欄が閉じられているのでここに書いてみようと思った次第。

 

 

この方は、英語を話したくていろいろな国でワーホリしておられるとのこと。

で、フランスでもパリなら英語だけでなんとかなるという動画を見て、

パリが好きだったからパリで働いてみたということのよう。

ところが、英語しか離せない彼女に対してフランス人たちの態度がひどい!

ということでフランス、パリが大嫌いになったというお話。

 

と、ここでいきなり世界史の話になるんですけど、

私は高校の頃世界史が苦手で、なんかもう訳がわからなかったんですね。

時代も地域もいろいろ飛んで全然頭の中で繋がらなくてお手上げ状態。

でも、実際に日本の外に出てみると、世界史は大切だったと判明するのです。

 

今回のパリで英語を話す件ですが、多分この動画の彼女は英語に自信があって、

英語で話したいという気持ちが強すぎたのだと思われます。

だけど、フランス人にしてみれば、英語というのは敵国の言語なんですよ。

世界史で習った百年戦争はフランスとイギリスの戦いで、

日本人でも多分その名前を聞いたことのない人はいないジャンヌダルクは、

イギリスの攻撃にひるまず戦いに挑んだ、勇気の象徴のような存在。

ヴェルサイユ宮殿で花開くフランスの絶対王政はここから始まったといえる。

いや、こうして栄華を極めた花の都パリのことを思えば、

パリジャンたちが、世界がフランス語を話して当然!

くらいに思っているというのも不思議じゃない。

 

なぜイギリスとフランスが仲が悪いのかと言うと、

これも世界史で習った、1066年のヘイスティングスの戦いから始まっている!

征服王と呼ばれる初代イングランド王は、フランスからやってきた。

といっても歴史は複雑で、彼は純正フランス人という訳でもなくて、

 

フランスのノルマンディーという、バイキングが征服した地方の君主だった。

(だから現代英語は簡単に言うと、スカンジナビア系仏語のノルマン語と

サクソン系ドイツ語のミックスでできている!)

まあそれでもフランスはフランスだから、

英王室ではずっとフランス語が公用語だったらしいです。

イギリス英語ではお父さんはダッド、ダディ、お母さんはマム、マミーなのに、

チャールズとか貴族階級がパパーとかママーとか呼ぶのは

(ダウントンアビーもパパーとママーで、アクセントは前じゃなく後ろ)

その名残ではないかと私は見ている。

他にも名残としては、昔は日本でも外交官はフランス語必須だったはずだし、

唯一今でも世界的に残っている名残は、オリンピックではないかと。

最近見てないけど、オリンピックでは必ずフランス語のアナウンスが入るよね。

 

というわけで、そんなところに行って、

「あんた英語しゃべれるよね、なんで英語で話してくんないの?」

みたいな態度取るというのは、

相手から見れば、喧嘩を売っているに等しいんですね。

なので意地悪されてもしょうがないというか、

ネットフリックスの「エミリーパリへ行く」で見たのより

さらにひどい扱いを受けるというのも想像できる。

 

多分、世界を飛び回りたいと思っている人からすれば、

英語さえ喋れればいいでしょ、あんたも喋れるじゃない、ということなんだけど、

フランス人はただでさえプライド高いから、そんなの無理なんですよ。

逆に、英語もカタコトくらいの方が、日本人は優しくしてもらえると思う。

 

その昔、セーヌ河畔であったパーティーに連れて行ってもらったことがあって、

そこに一人英国人がいたんだけど、彼はフランス語で楽しそうにしていた。

イギリス人もフランス人が嫌いな人が多いから、珍しいと思って聞いたら、

彼は、「イギリス人よりフランス人の方がフレンドリーで好きなんだ」って。

もちろんフランス語を話さないと仲間に入れないけど、

仲良くなれば、イギリスにいるよりこっちの方が心地いいから、

これまで5年住んでいて、今後もずっとパリに住む予定、とのことでした。

 

ということで、郷に入っては郷に従え、ということで、

現地に溶け込もうという態度を見せるのは必要かな、と。

それには学校で習った世界史が役に立つこともある、というお話しでした。

 

 

余談:もしかして前にも書いたことあるかもだけど、

フランス語のシャルルって英語のチャールズ!

(難しいフランス語の発音。 Charles de Gaulle(パリの国際空港)は日本語だとシャルル・ド・ゴール。 英語読みはシャールス・ド(ゥ)・ゴール。 フランス語だとシャール・ド(ゥ)・ゴォル。by Google)

そのドイツ語読みはカールで、カール大帝とシャルルマーニュは同一人物。

いや、私はこういうので世界史苦戦したんですよ。

こうやって名前の読み方が違うだけってわかってなかったから、

単語だけ覚えても頭が混乱するだけで全然理解できなかった。

 

なので、イギリスのチャールズ一世って、17世紀に処刑された王なので

王としてチャールズという名は縁起がよろしくないのではという話も聞くけど、

フランス王室の始祖と言われるシャルルマーニュの名前とも言えるのです。

(グーグル先生によると、マーニュとは「偉大な人」という意味らしい)

なので、革命で王室を失ったフランス人たちは、

複雑な気持ちでチャールズ王のことを見てるのかもしれないと思う今日この頃。