花屋を開店してどうにか採算をとれると思っていました。 | フルールはなはなのオフィシャルブログ「花に恋して」powered by Ameba

花屋を開店してどうにか採算をとれると思っていました。

一人12万で私を含めて3人で35万。

最初は社会保険にも入らずに

みんな国民健康保険の加入者でした。

1年間で180万の売り上げで。

それでも最初から黒字スタートでした。

44年前の事です。

お客様に綺麗なお花を提供して喜んでいただく。。。

そんな単純なことで始めたのですが、

お店を開けていても一日数人のお客様。

配達の途中で工事をしていたら。開店祝いのお花は?と。

開店祝いのお花が並んでいたら、毎週お花を飾りませんか?と。

飛び込み営業を懸命にしました。

ゴトウ花店は大きなイベントスペースの装飾を

沢山手掛けていました。

顧客も一流企業のオーナーやTOPの方達。

ここで沢山の事を学び、クリスマス装飾のノウハウも。

そのノウハウで貸し鉢やさんの下請けで

デザイナーズショップのディスプレーも。

3人しかいないのですから、

クリスマスリースを50個請け負ったら

脂で手を真っ黒にしながら夜中までの作業でした。

子供を負ぶって、ぐずったら床にマットを敷いて、紐で縛って。

今だったら虐待と騒がれたかもしれませんね。

当時はお客様の応対の間、他のお客様がおもりを。

泣きたいような気持を、まだまだと奮い立たせてくれました。

お客様の愛にも恵まれました。

『焼肉の外苑』今はありませんが、

そのオーナーのご厚意で出せたお店でした。

7坪のお店を造作までして下さって。

焼肉とサウナのビルの入り口を明るく品よく彩りたいと。😊

その役割は果たせたと思いますが、

店頭売りのお客様は一日多くて4~5人。

店頭売りには一定の量と種類のお花を仕入れなければならないし。

芸能関係のスタンド花と

個人のお客様とは好みが違うので無駄も多くなるし。。。

本当に試行錯誤の毎日でした。

子供の保育園も公のところは全部断られて。

店に近い神宮前の私設の親子でまかなっている保育所に。

加藤登紀子さんのお子さんも見えていました。

その後五反田(自宅・実家の近く)の保育所に。

そちらではマリックさんのお子さんとご一緒でした。

子供が風邪をひくと、電話があって引き取りにいかなければ。。。

装飾の打合せに伺う車中で電話を受けると

どうしたら良いか?頭を下げ続けるだけ。

年長さんになるころに代々木の杜保育園に。

お隣の共産党さんが見るに見かねてのご紹介でした。

 

急いで打ち合わせをおえてひたすら走りました。

あの頃は携帯なんてなかったのでポケベル頼り。

配達途中の公衆電話はしっかりマッピング出来ていました。

緊張感一杯の毎日でしたが、満ち足りていました。