任せた結果、自分の花やとしては?と感じ始めたのは | フルールはなはなのオフィシャルブログ「花に恋して」powered by Ameba

任せた結果、自分の花やとしては?と感じ始めたのは

かれこれ20年ぐらい前。

方向性は写真や仕入れの仕方で示したつもりで。

自分の活動の終わりを見据えて考えようと

スタッフに運営を任せて、ここぞという時に手を貸す。。。

そんな方法が良いと思いました。

仕入れよりも、マーケティングと

愛して下さるお客様を増やすことを大事にした私。

スタッフはお客様を見るよりも

自分の好きな花を生けることを優先して。。。

何を売りたいか?何を大事にする店なのか?

どんどん方向の見えない店になっていきました。

任せても、スタッフを育てる意識もなくて。。。

自分たちの便利さだけが優先されて…

かく言う私も含めてだったかも。

ミーティングを重ねても

上意下達の上滑り。

自分の不甲斐なさを感じながら、無気力な若者を憂いながら。

どうしたら彼らの意欲が湧くのか? 夢を持てるのか?

口を出さない方が良いかと思ったり、

意欲が無ければ楽しくないはずと確信して焦って。

1,2年ごとに迷いながら努めている間に

20年はあっという間。

家族の食事を作ったり、薔薇や草花を植えて楽しむのがガス抜き?の毎日でした。

 

今回は廃業するか? 1から始めるか? を考えて。 

スタッフに問いかけたら、

チーフからの将来性を感じないという言葉。

長く一緒にやってきた店長も、仕入れをしないならやめたほうがよいと。

愕然として悲しくて。。。 何をもがいていたんだろう?

 

大金を稼ごうとか、大きくしようと思ったことはなくて。

お花を買って頂いて喜ばれるのが嬉しくて、

その喜びをスタッフにも感じてほしくって

だからギフトの店とテーマを決めて千駄ヶ谷で初めて40数年。

西麻布・サンシャイン・神宮前・渋谷LOFTと

お客様に合わせて展開していきました。

実家や姉たちや周りの方の応援と、努力と幸運で着々と進んできました。

 

花屋を開いた次の年に出産して。

2人の子供を抱えて仕入れをしたり、配達をしたり。

お花屋さんもプロダクションも一生懸命やっていけば同じよと

テレビ局のA女史に励ましていただいて、

好きじゃない業界だったのに、成り行きでプロダクションも引き受けて。

九ちゃんと2人三脚で歩みだした翌年に

日航機事故で九ちゃんと小宮マネージャーを失って。 

 

手を貸して下さる方達の力を頂いて遺族のお手伝いをするのが

マネージャーの仕事。

収入はないけれど、経費は掛かり続ける。 

先行き不安だらけだった時に、会社と家族と私の心を支えてくれたのは

フルールはなはなでした。

プロダクションの事務所を引き払って、息子が小学校に入った年に

寂しい想いをしないように建売を買った家に、大きなテーブルを入れて。

其処が主人と経理の事務所でした。。。。。

荷物は主人のお友達や姉の家の倉庫に預かっていただいて。

無我夢中の毎日でした。

 

何時でも全部を無くしても、最初からスタートできる。

無駄遣いをしないで、貯えていく。。。

それが母や翠姉からの教えでした。

花屋の会社設立も経理も翠姉に教えていただいて

殆ど司法書士にもお願いせずに、自分ですることが出来ました。

こういう経験が、考え方が、あの時も今店を閉めて廊下に花を置いての

再スタートの発想にも繋がっています。(to be continued)