自分の意識の中にある劣等感に気づいた。
賢く見られたいという欲がある。
なぜなら、馬鹿にされたくないから。
馬鹿にされる自分は、人に弱く見られている、
そんな自分でいたらいじめられるという思い込みを
子どもの頃に、自分に刷り込んでいた。
そのまま大人になり、いま気がついた。
切実にしていた方が賢く見える=いじめられない=生き抜ける
という構図が完成していたけど、
それは、この愛の循環で創造され続けている宇宙から見て、
本質的ではないので、生きづらくなる負の循環に入ることになっていた。
これも学び・成長・変化というプロセスの一部と捉えるならば、
ただの成長過程なので、可愛いものだ。
いつも行っているカフェがある。
そこの店長さんが、いつも機嫌のいい人で、居心地がいい。
もっともっと過ごしたいと思って、1日の半分を過ごすときもあるくらい。
機嫌よくいられる場所に、つまり、「いい気分」でいられる場所に
人は集まるのではないだろうか。
そして、「いい気分」になれる場所や人に私はお金を払いたくなる。
なぜなら、私自身が「いい気分」になりたいからだ。
私に限らず、人間というものは、「いい気分」になりたいのだ。
だから、「いい気分」になれる、機嫌のいい人のところに人は集まるし、
人が集まるから、お金も集まる。
だから、本質的に賢いのはいつも「いい気分(機嫌のいい)」の人。
私は、賢く見られたいので、「いい気分」を選ぶ。
切実な私、さようなら~。
いつも行くカフェの店長さんに教えて貰った、
店長さんが聴いている曲・歌手❤️
いい一日を。