新紙幣が7月3日から20年ぶりにお札が発行する!
あと2か月ですね。
新紙幣に選ばれた人
千円 北里柴三郎
北里柴三郎さん(1853年生まれ)、という日本の医学者・医学博士です。ペスト菌を発見し、破傷風の治療法を研究開発するなど感染症医学の発展に大きく貢献してきた方です。「日本の細菌学の父」として広く知られているのです。
現在の学校法人北里研究所や北里大学の創立者、現在の慶應義塾大学医学部の創立者であり初代医学科長、慶応義塾大学病院の初代病院長、日本医師会の創立者であり初代会長であります。
一万円 渋沢栄一
渋沢栄一さんは、(1840年生まれ)という江戸時代の後期に生まれた方です。江戸時代には武士であり、官僚であり、実業家でありました。
1873年(明治6年)に大蔵省を退官し、退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取に就任し、第一国立銀行だけではなく、地方銀行や一橋大学・東京経済大学など、多種多様な企業、学校の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」とも言われています。
新紙幣に採用された「世界初」の新技術!
紙幣には、偽造を防ぐため、世界で初めて3Dホログラムが使われ、見る角度によって肖像の向きが変わります。
現在の一万円札
福沢諭吉さん
1984年(昭和59年)11月1日から2004年
慶応義塾大学の創設者で「学問のすすめ」の作者です。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という冒頭の有名な言葉がある。
これは1863年のアメリカ南北戦争の最中、リンカーン大統領が行った演説での言葉「人民の、人民による人民のための政治」を引用したと考えられます。
学問のすすめの内容としては、
人は生まれながらにして皆平等であるはずなのに、実際は貧富の差があったり、身分の高い低いがあったり、賢い人や愚かな人がいたりする。
それは何故かと考えてみると、しっかり勉強して学問に努めた人は自然と身分が高くなるし、裕福になるものであり、逆に勉強をしない人は身分が低いままで貧乏になってしまう。
という内容なのです。
その他にも明治維新に大きくかかわり、自ら渡米し海外のよいところを日本へ伝え、病院や学校、銀行や保険制度についても欧米の考え方を取り組み現在に至っているのです。
日本にふさわしい偉人だって。
現在の五千円札
樋口一葉さん
2004年(平成16年)8月13日の財務省告示第374号「平成十六年十一月一日から発行を開始する日本銀行券壱万円、五千円及び千円の様式を定める件」[28]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。
- 日本銀行券
- 額面 五千円(5,000円)
- 表面 樋口一葉[28]
- 裏面 尾形光琳筆「燕子花図」[28]
- 印章 〈表面〉総裁之印(特殊発光インキ) 〈裏面〉発券局長
- 銘板 国立印刷局製造
- 記番号仕様
- 記番号色 黒色/褐色(製造時期により2種類あり)
- 記番号構成 記号:英字1 - 2文字+通し番号:数字6桁+記号:英字1文字
- 視覚障害者用識別マーク 八角形(深凹版印刷、左下隅・右下隅)
- 寸法 縦76mm、横156mm[28]
- 発行開始日 2004年(平成16年)11月1日[28]
樋口一葉は1872年(明治5年)生まれの日本の小説家です。
樋口一葉は24歳という若さで亡くなっていますが、その短い人生は決して順風万帆ではありませんでした。
幼いころから利発的だった一葉は、学校の成績もよかったのですが、母親が「女性に学業は不要である」という考えから進学させてもらえませんでした。
それに対し父親は一様に和歌を習わせ、しばらくして「萩の谷(はぎのや)」という歌塾に入門させたのです。
一方、樋口家の長男である一葉の兄が若くして病気で亡くなり、続いて父親が新事業のために用意した財産を騙し取られ、負債を残したまま亡くなってしまったのです。
まだ17歳だった一葉は大きな荷を背負うことになり、当時婚約者だった男性にも破談にされるという悲しい現実を突きつけられたのです。
「萩の舎」の仲間が小説を出版し、33円という多額の原稿料を得ているのを知った一葉は、自分も小説を書いてお金を稼ごうと決意したのです。
なかなか小説が採用されず、最初は苦難の連続だったのですが、努力を続け「うもれ木」という作品が雑誌に掲載され、そのときの原稿料が11円50銭でしたが、そのうち6円は借金の返済に当てられました。
経済的に苦しい日々が続き、これでは執筆活動もままならないと考えた一葉は、駄菓子などを売る雑貨店を開いたのですが、すぐに近所に同業者が店を開いたために、商売が苦しくなっていったのです。
この雑貨店での経験を元にし執筆した「たけくらべ」は、後に樋口一葉の代表作となります。
その後も出版社に原稿料を前借りなどをしながらもなんとか小説家としての活動を続け、森鴎外をはじめとする小説家仲間からもその才能を高く評価されていました。
しかし、当時は治療法がなかった肺結核を患い、24歳にして人生の幕を閉じたのです。
現在の千円札
野口英世さん
2004年(平成16年)8月13日の財務省告示第374号「平成十六年十一月一日から発行を開始する日本銀行券壱万円、五千円及び千円の様式を定める件」[46]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。
- 日本銀行券
- 額面 千円(1,000円)
- 表面 野口英世[46]
- 裏面 富士山(本栖湖に映る逆さ富士)と桜
- 印章 〈表面〉総裁之印(特殊発光インキ) 〈裏面〉発券局長
- 銘板 国立印刷局製造
- 記番号仕様
- 記番号色 黒色/褐色/紺色(製造時期により3種類あり)
- 記番号構成 記号:英字1 - 2文字+通し番号:数字6桁+記号:英字1文字
- 視覚障害者用識別マーク 横棒(深凹版印刷、左下隅・右下隅)
- 寸法 縦76mm、横150mm[46]
- 発行開始日 2004年(平成16年)11月1日[46]
野口英世という人物は、1976年(明治9年)貧しい農家に生まれ1歳の時に左手に大やけどを負い、ハンディーキャップを背負いながらも克服し、なんと独学のみで医師となり「細菌学者」として世界的に名声を得るという、とんでもない天才なのです。
貧しい家の生まれにもかかわらず、英世の能力をいち早く見出した恩師の計らいにより、裕福な家庭の子供だけが通える高等小学校(現在の中学校)へ特別に入学することができ、そこで勉学に励んだのです。
その後は医師となり、渡米し、ロックフェラー医学研究所の研究員として「細菌学」の研究に従事していました。
ノーベル生理学・医学賞の候補として3度ほど名前が上がりましたが、結果的に受賞することないまま、黄熱病にかかってしまい、51歳の若さで亡くなりました。
研究者としての実績は既に承知の通りですが、実はあまり表沙汰にはされていない野口瑛世の人間味あふれるエピソードがいくつかあるようです。
英世は野口家の貧層に拍車をかけた、酒好きで怠け者の父親の血を受け継いだことがあり、お金のない英世は巧妙な説得力と話術で、恩師や友人たちから再三にわたり借金を重ねていき、「借金の天才」とまで言われていたようです。
それだけ自分有利にもって行くという、いい意味で世渡り上手であったようですが、逆に言うとそれがなければ世界的な名声を得るようにはなれなかったのかもしれません。
父親に似て英世自身も酒好きであったのと、金銭感覚に疎く浪費家であったといいます。
現在の紙幣(お札)の肖像人物はどんな人?福沢諭吉・樋口一葉・野口英世を簡単にわかりやすく説明してみた!
2024年7月3日になったら、見慣れていたお札とさよならすることになるので寂しくなりますね。
新しい新紙幣へ変わります。
現在のお札の人物がどんな人かも分からなかったですが、現在の紙幣(お札)の肖像人物はどんな人?福沢諭吉・樋口一葉・野口英世を簡単にわかりやすく説明してみた!というページを読んで良く分かりました。福沢諭吉はすごい偉人だと思いますね。