年越しの大祓 | 花杵 庵

早いもので泣いても笑っても今年も残すところあと数時間💦

どうせなら笑って新年をお迎え致しましょう!



今年もお疲れ様でございました🙇‍♂️



大祓とは
知らず知らずのうちに犯した罪や過ちまた心身の穢れを祓い清めるための行事として「古事記」や「延喜式」にも記されているように古くから行われていました。


六月と十二月の晦日の行事で 年に二回行われ、 六月は「夏越しの大祓」十二月は「年越しの大祓」と呼ばれています。

            

この時期に神社に行くと、まず目に付くのが拝殿前に置かれる茅の輪ですね。



(年越しの祓の大晦日は茅の輪を設置していない神社さんもあります)


茅(ち)の輪くぐりの御神事は、神代の昔 須佐之男尊が茅(かや)で作った輪を授けた事が始まりで、疫病を祓い除ける力があるとも云われていて、疫病の流行りやすい季節を前に病魔に負けない力を戴けるようにとの願いをこめて行われる神事になります。


おはなしの原型を辿ると、須佐之男は茅の輪の護符を腰につけるように蘇民将来に教え、そのおかげで蘇民将来は疾病を免れたという伝説が各地に残っており、蘇民将来子孫之門とか蘇民将来子孫繁昌也などと書かれた護符を家の戸口にかけることは厄病よけの役割を果たすとされているところにも行き着きます。


こちらのおはなしは、昔話や空海伝説等々にも見える一夜の宿を…

的なおはなしから始まる物語


なので、よくある日本人がもっとも好む『やさしいひとには幸せのお裾分け』みたいなものでしょう。



蘇民将来の方面からおはなしを進めると
天徳神(蘇民将来)
天道神(須佐之男)
歳徳神(櫛稲田姫)
八将神(八柱御子神・八王子)
金神(巨旦将来)
など暦関係に


同じく須佐・稲田・八王子を祭る八坂神社の『牛頭天王』の祭祀形態に繋がってしまいますが、ここでは大祓のおはなしをつなげていきます。


茅の輪くぐりとは
一般的には参道を進んで真っ直ぐ潜ってすぐに参拝祈願等を始める方がほとんどだとは思いますが、正式な作法としては、

左→右→左となります。

正面からくぐって(左足から)左回りで戻り、次に(右足から)右回り、そしてまた(左足から)左回りで正面に戻ったら、最後にもう一度潜って真っ直ぐ拝殿前へと進みます。

御幣や幣束等での祓いや手水の作法としても基本となりますので
この左→右→左を覚えておかれるのも良いですね。


※↑の説明わかりにくいかな?

1回目の左回りのときは左足で跨いで左回り、2回目は右足で跨いで右回り、3回目はまた左足で跨いで左回りね。

その後、正中に進むときには左足で跨いで真っ直ぐ進みます。

変則的になりますが、神道は基本としては左進右退になります。
(仏事は右進左退)



茅の輪くぐりの他に「撫で物」と呼ばれる「形代」(かたしろ)に名前と年齢を書いて、身体をなでて3度息を吹きかけ諸々禍事・罪・穢れを形代に移し、それを川や海に流してわが身を清めるという雛祭りにも通じる祓いの作法もありますね。

※お焚き上げするところも一部あります。


古くは、身代わり信仰として始められ、人間の身代わりとしての人形・形代を使って行われたもので、三月の上巳の節句にこの形代で体を撫でて、身のけがれや禍いを人形(ひとがた)に移し代わらせて、川や海に流して幼子の無事な成長を祈る行事が流し雛の始まりと云われています。

(七夕にも同じような行事がありますね)


当時、紙は貴重なものだったので、多くは板で作られていましたが、形代(かたしろ)の原型に関しては、それ以前の古代から縄文土偶であったり、弥生の人面土器、古墳時代の人物埴輪などにも同じような意味合いを込めた祭祀具があったようです。


古代では祓以外にも、呪術的な意味合いで造られた土偶・埴輪も多かったようですが、そのあたりはいずれまた…


その他にも、幼児の枕元に置いて幼子の病気や災厄を祓い無事な成長を祈る天児(あまがつ)や、日本のぬいぐるみの原型とも言われる這子(ほうこ)と呼ばれる猿ぼぼの原型などもあります。



お~っと!

貧乏暇なし
明日もお仕事なのでこの辺で💦


始めたばかりのつまらぬブログではありますが、まだしばらくはのんびり続けてみようと思っています。

お読みいただいた皆様には感謝申し上げます。

お付き合いありがとうございました。


こんなご時世ではございますが、どうぞ良いお年をお迎えくださいまし👍