父の

行方不明のち

発見となるブログの続きです



※自分への記録として書いてます
 長くなります





5月19日夜

姉から電話

「奈良の田んぼでお父さんの車が見つかった」

この言葉で全てを悟る



姉もその先を続けなかったし

私も聞く間もなく



  ー なんで ー



張り詰めていたものが切れた





父訃報の連絡以降の記憶が曖昧だけど




私にできる連絡作業

ケアマネさんとお弁当屋さんには

行方不明という形で

とりあえずのストップをかけていたが

本当の意味のストップの連絡をする

電話の向こうのみなさんは

「心配していたのよ」

口下手な父なりに

良好な関係を築いていたんだなと

温かい気持ちになった




それから

とにかく大阪へ行く準備をしなければ

急がなければ

いつまでの予定なのか

何をしたらよいのか

頭が回らない

日が落ちても気温が下がらない蒸し暑い夜に

汗だくになりながら喪服と黒のパンプスと

数日滞在できる着替えを

スーツケースに押し込んだ






5月20日

早朝の便の飛行機で大阪に向かう

昼前に実家の最寄りの駅に着くと

姉夫婦と末の息子(甥)の3人で

車で待っていてくれた



父の急死から初めて身内に会うと

自分の中の甘ったれた部分が出そうになるが

それを抑え

自分勝手な行動をした父への不満を

勤めて明るく口にする自分がいて

より精神がグラグラになる ←M気質炸裂





5月19日の夜に

奈良の田んぼの

生い茂った雑草の中で発見された父

そこから奈良県立医科大学に搬送され

検死が行われる

死因特定

死亡推定時刻

事件性の有無など



普通の亡くなり方ではないので

検死に時間がかかる

この時点では

遺体引き取りの日時は不明

警察との連絡は姉がやってくれていた



控えめに言ってポンコツな姉だが

斎場の手配や親戚への連絡も

そつなくこなしていた

喪主としての重責と

ただならぬ緊張感が

そうさせていたのかもしれない

姉も頑張っていた




検死が終わり

遺体引き取りの日時が決まらなければ

お葬式の日取りも火葬場の予約も出来ない

全て不確定なまま現実味もなく

姉も私もどこか

心身共にフワ〜ッとしていたように思う





まだ葬式の準備も何も出来ない

何より

まだ父に会えていない

集まれた父の家族達でできる事といえば

一人暮らしだった父の家に行き

死亡手続きに必要であろう書類探し

郵便物や棚の中の大量の書類を

片っ端から広げて種類ごとにわける

これが結構精神と体力を削るのである




そうこうしているうちに

警察から

父の引き取りの連絡

5月21日15時半

奈良県立医科大の

〇〇の出入り口に来るように言われる

この情報を

お願いしている葬祭へ伝えると

遺体搬送専用の車と運転手の手配

お通夜とお葬式と火葬場のスケジュールが

テキパキと組まれる

さすがプロである

どんなにイレギュラーなパターンでも

仕事が迅速丁寧かつ

遺族に寄り添った柔らかな姿勢だった


ありがたい





5月21日

15時半に父を引き取る予定だが

それまでに父を発見してくれた

父の弟(叔父)へ

お礼と経緯と状況を伝える為


もう一つ


我々は誰も

父が1人で維持管理をしてきた

田んぼの場所を知らない

父が最期に居た田んぼの場所を知らない

それを教えてもらう為に

叔父の家を訪ねた




他の兄弟が若いうちに次々と亡くなり

父と叔父 二人兄弟となって長かった

父と同じ顔と声と話し方の叔父は

涙を流しながら

発見した時の状況を語ってくれた

そして

田んぼの場所を車で案内してくれた




初めて見る父の田んぼと


確かにそこにあった


父の白い車





車を停める場所を確保する為に


刈られたスペースと







草刈機でまっすぐ


奥に入ったであろうの形跡








父の白い車と


ほとんど手付かずに残ったままの雑草と


ほんの少し刈り取られた茶色の部分




まぁ胸が締め付けられますね





父が最期にどんな想いで


この景色を見たのだろう



苦しむ時間が短かったらいいなぁ





叔父にお礼を伝え


ここで別れる




そして


奈良県立医科大学へ向かう


約束の15時半に父を引き取る為に






担当警察からの諸々の説明


遺体搬送の運転手さんからの説明


死亡届などの書類達


などなど


たくさん聞いたが


頭に何も入ってこない





検死結果


死因は


心臓の血管が詰まった事による〇〇


死亡推定日は5月17日




え?



5月18日の朝から連絡が取れなくなったから


てっきりこの日の早朝に


田んぼに出かけたと思い込んでいたが


ドラレコの記録は


5月17日11時20分で止まっている


よってこの後に草刈りを始めてじきに


倒れたであろうとの説明だった



ならば


30度越えの晴天の下


丸3日


そこで父は待っていたのか






遺体搬送の運転手さんに


葬儀場まで


姉と私の2人が


父と一緒に車に乗りたいと伝えていた



運転手さんは


最初は「わかりました」と


私たちの希望に沿ってくれていたが




父を搬送の車に乗せた後


まだ警察と話をしていた


私たちの居る部屋に戻り




「ご遺体の状態が良くないです


 一緒に車に乗るのはおすすめしません


 先に葬儀場に搬送して


 ご遺体をとりあえずの浴衣に着替えて頂き


 ご対面できるように整えます」


↑もっとリアルな表現だったが伏せておきます

 作業内容により費用も変わるのでその確認の話もありました






3日間暑い中倒れたままだっとのと


頭の先から身体中検死作業をしているので


かなりの損傷との事だった




父に早く会いたかったが


運転手さんに


お気遣いのお礼を伝え


その通りにしてほしいとお願いした





5月21日18時頃


葬儀場に着く



既に浴衣に着替えられた父が仮安置されていた





父に会う





行方不明の日から


会いたい気持ちが日増しに膨らんでいた



やっと会えた







みんなで草刈りしようって言ってたやん


なんで待っててくれへんかったん






文句の一つも言ってやろうと思ったが






パンパンに膨れたドス黒い父の顔を見ると






3日間1人でよう頑張ったなぁ


見つけるのが遅くなってごめんやで







白い布でぐるぐるに巻かれた


父の頭を撫でながら


声を出して泣いた