花紀行

花紀行
  • 12Oct
    • 心の生傷を自分でひっかいた

      心の傷にうっすら瘡蓋ができそうだったのに・・・せっかく瘡蓋が出来そうだったのに・・・昨日の旦那の友達とのお喋りで・・・薄っぺらなぺらっぺらな瘡蓋を自分で引っかいてしまったようだ心の生傷は、ぱっくり・・・また開いてしまった。なんてこったぁ今日はBGMに手島葵を聴いていたのも・・・涙を誘い・・・困ったけど・・・聴きたいのだ今日は・・・。何が悲しいってさ本気で怒って喧嘩できる貴重な相手が旦那だったわけでその大事な喧嘩相手がいないことが悲しいのだいくら喧嘩をしても・・・謝っても・・・謝らなくても・・・お互いを許せる相手って私には旦那しかいないんだよなぁ普通・・・他人と喧嘩をしたら・・・それっきりでしょ私だったら無理!って見切ると思うだから旦那以外の人とは喧嘩はしないし出来ない私は他人に対して警戒心が強くて喧嘩をしてまで人と付き合う事が出来ない性分なのかも他人の懐に飛び込むなど皆無なことその私が見つけた唯一喧嘩できる相手が旦那だったわけだ安心して喧嘩できる人だったあ~~~~~ぁあなたはもぅいないのか!喧嘩はもぅ出来ないなのね!と思うと涙が頬を・・・濁流のように流れるゴぉーゴぉーと流れるぞ!そんな私を見たらきっと旦那はこう言い放つだろう「おばさんが泣いたって可愛くも何んともない」とせせら笑うに違いない私はいったい誰のせいで濁流の涙を流していると思う?旦那よ!あなたのせいだよ!と言って旦那と喧嘩がしたいものだ。心の生傷を自分で引っかいたら涙と言う血が出てきた。ぺらっぺらな瘡蓋は剥がれた。

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    • 旦那の友達

      数日前、旦那の故郷の友人達から「お彼岸に旦那のお墓参りが出来なかったから11日に旦那のお墓参りに行ってもいい?」と連絡を貰った。「来て!来て!旦那も喜ぶわぁ」と返事をした。去年の今頃も・・・「どう?皆であいつの事を心配している。本当のところあいつの状態はどうなの?あいつの様子を見に行きたい」と連絡を貰った。去年の今頃の旦那はまだ・・・自宅にはいたが・・・正確にはあまり調子は良く無かった。でも心配をしてくれる旦那の友人達の心使いに感謝する思いと同じくらいの違う思いが頭をよぎった。その違う思いとは・・・今なら元気な旦那の姿を彼等に見せる事が出来る。癌で衰えた弱りきった旦那の姿を彼等の脳裏に残したくは無かった。彼等がうちの旦那を思い出す時は元気なままの旦那であって欲しかった。そんな思いが頭をよぎったが旦那にそんな事を言えるわけもなく・・・「どうする?」と旦那にお伺いを立てると「皆に来てもらおうよ」と旦那は言った。そして友人達6人が我が家にお見舞いに来てくれた。友人達は・・・普通に酒を酌み交わし食事をし沢山喋る旦那の姿を見て「安心した!」と連呼し、変わらない旦那の姿に喜んで帰宅した。それが・・・1年前のことだ。当時の旦那の心の中でも口には出さなかったが友人達と逢うのはこれが最期かも・・・と言う思いは私同様あったのかもしれない・・・それで昨日旦那の友人達は皆で墓参りに来てくれた「お彼岸に来たかったけど来れなかった」と言いながら・・・昨日は偶然だけど私の父の命日でもあった。なんだか偶然が多いなぁ・・・若しかして・・・私のこと・・・墓の中の皆で呼んでる?と思いつつ其のことは彼等には伝えずお墓参りをして我が家で旦那を肴に宴会をした。彼等との付き合いは私が高校生で彼等が大学生の頃からの付き合いである。皆で昔話で盛り上がり当時を思い出した。旦那の友達から醸し出す空気はまるで旦那がいるような錯覚を引き起こした。それは私だけではなく旦那の友人達も同じだったらしい。「あいつがここにいなくても何も変わらないあいつがいる時と同じだまた来るから!また墓参りに来る!」と言ってくれた。「旦那の実家に帰る時には連絡して!皆で集まろう!」と言ってくれた。みんなの気持ちには感謝!感謝!だが心の中で、そこまで図々しくはできない。それが礼儀。でも皆が楽しかった!と言ってくれて安堵している。旦那の顔も立てたかなぁ?今まで殆どの飲み会は辞退させてもらっていたが今回のみは遠路はるばる来て頂いたので飲み会は解禁した。飲み会はかなり久しぶりだったせいか?友達から醸し出す空気が懐かしかったせいか?まるで旦那に文句を言うように私は毒舌を撒き散らし今になって反省をしている。調子に乗って喋り過ぎた・・・あの世で旦那も・・・「言わなくて良いことまで・・・ベラベラ喋って・・・」と怒っているかも?もぅ喋っちゃったので・・・すみませんと旦那には謝っておこう!でも帰り際に友人達から言われた「あいつに急にどうしても合いたくなる。だけど思い出すあいつは元気な姿のままだ」と言われ1年前の私達の思いは叶ったのかも知れないそう思った。

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  • 08Oct
    • 心の微妙な変化

      最近、気が付く事がある。人様と会話をしていて思う。少し前まではたとえば「ご主人亡くなられてどのくらい経ちましたか?」と聞かれ「5ヶ月です」と返事をすると答えは決まって「もぅそんなに経ったのねぇ~じゃぁご主人のいない生活に慣れた?」と言うような事をまるでご挨拶のように言われ続けてきた慣れる?もぅ五ヶ月?え=======!ぜんぜん慣れないしまだ亡くなって五ヶ月だしこの先、夫のいない年月は永遠に続くその長さを思うと気が遠くなるのに・・・。それを会話の冒頭に挨拶代わりに言うか!と心の中で反芻しながら苦笑いするしか方法が無かった。こんな些細な事にもカチンカチンときていたもっともっと心無い無神経な言葉に傷ついていた。どんな言葉も心が敏感にダイレクトキャッチしてしまっていた。それはまるで生傷の傷口を開き放しでそこに当たる風も空気も埃も傷口にあたり痛かったのである。でもねぇ最近、少し見方が変わってきた。私もそうだったかも知れないな・・・今迄の自分もご挨拶代わりに無神経な言葉を発していたかも・・・なんて思うようになってきた人の心は表と裏で出来ている。人は表の部分を見て判断するがその裏まで読み取り言葉を発するほど人は他人に関心はないよな人それぞれ表を繕いながら裏の気持ちをひた隠し今を必死で生きている他人の悲しみにそんなに興味はないというか人の悲しみに寄り沿う余裕なんてないのではないかな?だったら・・・どーする・・・私あの世で旦那と逢った時「俺がいなくても楽しそうに生きてたじゃん!俺も生きて参加したかった」と旦那に云わせたい!「楽しそうで悔しかったら生きれば良かったのに」と旦那に意地悪を云えるように日々を過ごしたい私は生きているその時間を無駄にしてはいけないと旦那が教えてくれたんだ!人の言葉にいちいち反応せず自分ファーストで図太く生き抜くことが大切だ!そう旦那が教えてくれたんだ!と心に微妙な変化が起きてきた。

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  • 07Oct
    • 距離感

      夫の癌闘病記録は書けないでいる。止まったままである。困ったものだ。先週の台風は物凄く怖かった。ここ数年、風台風が無かったように記憶する。だから余計に風台風が恐ろしく感じ結局、台風の勢いが落ち着いた3時頃まで寝ることが出来なかった翌朝、睡眠不足のまま仕事に出かけた。翌朝の電車は大乱れで職場でも台風の話で持ちきりだった。先週の風台風は夫の実家周辺に大きな被害をもたらしたそんな情報が入ったのが翌日の月曜日の午後だった。夫の実家には誰も住んではいない名義は義理の妹となっている義理の妹は独身であるバリバリなキャリアウーマンでもある仕事で直ぐに実家には戻れないそして週末(昨日、今日)にはまた台風が来るらしいので行けないでも実家は心配である。と義理の妹より親戚グループラインに言ってきたこの時、とても悩んだ夫がいたら台風で被害はないか夫の実家の状況を確認しに有無を云わず実家に飛んで行っただろうしかし私も息子達も仕事である。私達も週末にならないと夫の実家にはいけない仕事を休んで行くべきか?いやいや息子達は行かなくても私だけ一人で早急に行くべきか?夫がいれば仮に週末に台風がまた来るなら其の前に・・・仕事を休んで行ったと思うが・・・ただ実家の近所の方からは「家は被害ないみたいだよ」と教えてもらったので少しは安堵はしていたが私もとても心配だった。とても悩んだ今週だった結局、昨日、息子達が夫の実家を見に行ってくれた。息子達は夫の実家には被害が無かったことを確認してトンボ帰りでこちらに戻った。昨日は3連休の初日と言うこともあり高速道路は大渋滞東京から4時間かけて夫の実家へ行き二時間半かけて息子達は帰ってきたそして慌ててそれぞれの約束の場所へと向かって行っていた。そして結局私は夫の実家には行かなかった。行かなかったのには理由がある。私は情報が入った時は夫がいた時と同じように夫の実家が心配だったので様子を見に行くつもりでいたが息子達や私の親戚そして同僚達から待った!が入ったのである。夫が生きていればそれは構わないでも夫が亡くなった今は私が率先して行くのは少し話が違うお伺いをしてお願いをされなければ行けないのだよ仮に被害があったとしようその対応はあなたの一存では決められない立場なんだよ今までは夫の一存で決められた事でも今は違うそれが夫を亡くした嫁の立場なんだよ他の兄弟もいるのだから!先走らないように!と釘を刺された。素直に夫の実家が心配だから・・・と言う思いだけでは駄目なかのか・・・それは大人のルールに反する事なのか・・・夫を失ったと言うことはこういう事なのか・・・でも息子達には夫の実家を家を見て安全を確認するだで良いので可能ならば行けないか?と打診をしたら・・・日帰りなら!と強行してくれたのである。嫁は出しゃばらず血をひく息子達なら文句も出まい・・・という大昔の考えに基いて・・・息子たちに御願いをしたのである。私は一人っ子なのである夫は4人兄妹である昔から兄妹の距離感と言うのか立ち位置が私にはよく判らなかったそこに夫を亡くした嫁という立場になり更に夫の兄妹や親戚との距離感をどのように取れば良いのか・・・判らない・・・。夫の兄妹の距離感とは難しい・・・ものになってしまった。夫の親戚とも然りであろう。この距離感はどんどん開いていくのだろうか?寂しいが・・・それが夫をなくした現実なのかもしれない。少しづつ時が流れ、環境もかわっていくそれが現実なのだろう(追記)なんてことでしょうねぇ・・・結局・・・旦那の実家の被害確認に行ったのはうちの息子達のみ。これって・・・どう解釈をすれば良いのかしら?

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  • 26Sep
    • 偶然を必然と思ふ

      友達が私のことを気遣って食事や飲み会に誘って貰うのだがすべてご辞退させてもらっている余計な気遣いをされるのも気遣いをするのも面倒なのである楽しい場所も楽しいとは思えず無理をして笑う気持ちにもなれず今は自力で傷口に瘡蓋が出来るまでそっとしていたい自分を大切にしてあげたいそのように思っていたのだが従姉妹の息子の結婚式が沖縄であることになったその結婚式に招待された其の前に従姉妹4人で会うことになった結婚式を兼ねながらの沖縄旅行を従姉妹4人で計画することになったさてさて事前の打ち合わせの予定が難航する4人の都合がなかなか合わず延期延期の連続そして7月は過ぎ、8月も越え、9月中には決めなくては・・・やっと4人の都合があった日が1日だけあり決まった決まった日を確認すると私達の結婚記念日だった其のことを彼女達にラインすると彼女たちはそれぞれ驚いていたそして「旦那さんが動いたね!そんな気がする!」と彼女達からラインがきた「まさかぁ」と答えたがんなわけないけど・・・。んなわけないけど・・・。表向きは大人だから否定したけどはじめてのひとりぼっちの結婚記念日だったから夫が気をきかして皆が集まる日にしてくれたのかな?んなわけないけど・・・。夫が動いてくれた!と思いたい偶然だった単なる偶然を必然と思いたい・・・。思いたい。自力で傷口に瘡蓋が出来るのにはまだまだ時間がかかりそうだ。それはそれで善し

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    • 秋も深まり

      自分の気持ちの整理をするために書き始めたブログであるしかし秋の深まりのせいかまだ気持ちがついていけないのかブログの続きを書けていない。去年の今頃は夫は生きていたなのに今年はいないこれからもずっといないふっとした瞬間にふっと思い出すなんでもない何も特別ではなかった日々だけが美しく蘇る人が求める幸せって特別ではない普通な日々のことを言うのだと思う

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  • 22Sep
    • 父のこと

      夫の余命宣告と父のレビー小体認知の悪化に悩み苦しんでいた。誰のためにどのような選択が良いのか?そんな時だった父の通っていたデイサービスの看護師さんから助言された彼女もご主人を癌で亡くされた方だったお子さんもまだ幼いと聞いた彼女は私にこう助言してくれた。「今はご主人の事を第1に考えて差し上げて欲しいお父様にとっても今のご家庭の状況が介護される場としてふさわしいとは思えない。勿論、ご主人にとってもです。私が時々講義を受けている認知専門の病院がありますそこは新しく出来た病院ですがとても良い病院だと思います1回お父様をお連れするのも一つの方法だと私は思います今のままだと皆さんが倒れてしまいます。お父様の事を思うのであれば今の娘さん(私)はお父様の介護ができる環境は作れないと思います。認知症は何時亡くなるとは判らない病気ですでもご主人は違う私も癌で夫を亡くしたので判ります」と助言を受けたこの頃の夫は抗がん剤の副作用があったとしても元気だっただから私も夫も壊れていく父の方が問題児扱いをしていた癌の怖さを判っていなかったただ、彼女の助言で私はやっと気が付いたそうか今の私が作る環境は父にとって介護される場としてふさわしくないのか!今の家にいる事が父にはベストな事ではないのか!家にこだわるのは私のエゴなのか?自己満足なのか?そう私は解釈をした。でも彼女の言う通りなのかもしれないと思ったそして彼女の勧めてくれた病院へ父を連れて行き父は診察を受け薬の調整をするため入院することになった入院した父は少しづつだったが落ち着いていった私たちが病室に行くと看護師さんに「この子達にコーヒー出してくれる?」といい病院に入院しているとは思っていなかったようにみえた実際は大暴れして有名人だったらしいが。父の事はまだまだたくさんの事がある思い出す事を封印しているただ病院へ入院させた後父の部屋で泣きながら「ごめんなさい ごめんなさい」と言っていた自分は忘れない。

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    • 癌の経緯⑤

      2015年1月夫は化学療法緩和ケアー科で抗がん剤治療が始まりました。3年前の大腸がん手術の時の夫の癌組織が病院に保存してありそれを基に適応するとされる抗がん剤は数種類ある。との説明を受けました。しかし、夫の場合は抗がん剤の順番が少し異なりました。一般的な抗がん剤治療は強い抗がん剤から始める場合が多いらしいのですが夫の場合は治療をすることでどのような形で副作用が出るか判らない結局、弱い抗がん剤からのスタートとなりました。抗がん剤の副作用の有無を観察するため1週間の入院をしました。弱い抗がん剤なため吐き気や頭痛や髪が抜けるというような副作用はあまり無かったしかし全身が中真っ赤に爛れ上がりました。手足の指と爪の間は水膨れになり、寝ている時も手袋は必須靴は皮靴は履けなくなりました。泡ボディソープを手放せなくなり絹のタオルで体をふく有様そして全身にクリームでケアーをしてテーピングをするという作業を延々していました。この作業は抗がん剤が変更されても亡くなるまで続きました。それでも、夫は根性で実家の畑仕事をしたりゴルフに興じる日々を送っていました。でもやはり問題は父の事でした。本来であれば、夫の癌の転移で暗く沈むべき期間であったと思いますが其の頃の私達の頭の中を占領していたのは父の症状の悪化でしたそれ程、父の奇行と徘徊は激しくなっていた。私の父のことです夫は何も言えないでしょう私が決断をせねばならないしかし私はなかなかその決断が出来なかった確かに父は夜中徘徊もする奇行もあった暴言も吐いたしかしレビー小体と言う認知症は正気に戻る時も一時あるのですそれが私には余計に不憫でならなかったまるで怯える子供のように見えて夫のことも悲しいしかし父のことも悲しいこの頃の心の葛藤も私は忘れることはないでしょう

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  • 21Sep
    • 癌の経緯④

      2015年1月肝臓転移のためペット検査の結果を緩和ケアーのドクターより聞かされた夫は余命2年半と宣告をされた肝臓に転移した癌は手術で取り除くことはできない大小点在し肝臓を覆いつくしてしまっていた抗がん剤治療をしないと年内の余命である。と緩和ケアーのドクターから言われた。予期せぬ残酷な余命宣告を受けた。あの診察室の場面は今も克明に蘇る。言葉を失くした夫の姿と衝撃で流す涙を拭う事すらせず「抗がん剤治療をお願いします」と連呼していた自分強烈に頭に刻み込まれている。それから数週間私は毎夜泣きながら夫に「私をおいて先に逝かないで」とお願いをしていた。でも夫は冷静で「一緒に連れて逝ってあげたいけどそれは出来ないでしょ」と言って困っていた。しかし夫は余命宣告を受けても強かった。日々のルーティーンは崩さず淡々と日々を暮らしていた。其の横で私が泣いてばかりでは駄目だ!辛いのは夫なのだから夫が望むようにする!と覚悟を決めた。夫の傍らでは泣くまい私も夫を見習い淡々と暮らすと決めた。夫は会社を退職し残された時間を自分なりに大切に使い始めていたように思う。問題は私の父だった。徘徊は連夜となっていて警察のお世話になってばかりな日々であった今思うとだが・・・父は訳が分からなくなっていたが私と夫の身の上に起きている最悪な事態を察知していたのかな?私達が最悪な空気を醸し出していたのかなぁ?父は空気を読んでいたのかなぁ?だから急激に悪化したのかなぁ?ただ余命宣告を受けた夫に残された時間を父の徘徊で父を探し回って人生を終わらせるわけにはいかない!夫の余命と父の徘徊介護どちらかの選択しなければならない時が来ていた。

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    • 癌の経緯③

      2013年夫の癌の検診は何事もなくクリアーしていた同時に難病の検診もクリアーしていた小さな問題は発生していたが短い入退院で事は済んでいた。レビーな父の症状は日を追うごとに悪化していったこの頃の夫と私の悩みと言えば父の症状であったが夫も仕事に行き私も仕事をしながら父の介護に明け暮れていた。2014年12月年末近くなり胃がんで自宅闘病中だった義兄から連絡がきた痛みから思うように体が動くことが出来ないためお正月に皆で会うことが出来ないかもしれない!と言う内容だった夫はすぐに義兄の家に行き義兄を其の日、病院へ入院させ帰宅した。帰宅した夫から聞いた義兄の様子は「病院に入院したし大丈夫だろう」と言う話だったが翌朝、義兄の嫁から「義兄が亡くなった」と言う知らせが入ったのである。奇しくもこの日は夫の癌の検診日でありこの日のがん検診で肝臓への転移が認められ緩和ケアーでの治療変更とペット検査をする事を勧められた日でもあった。まるで癌のバトンを兄から引き継いだ1日に思えてならかった。癌の転移を悲しく思う暇も与えられずそのまま義兄の通夜、葬儀となり私は何に対してこんなに泣いているのだろうと思うほど混乱した数日を過ごした。ただ義兄の癌闘病と最期はその後の夫のがん治療や予後や治療方法の選択や暮らし方などに大きく関与したと言える確かに義兄も夫も癌となった現実から考えれば遺伝の可能性は非常に高いと思われるががんは日本人の死因のトップであり年々増加をしている死因トップでありながら病院側の治療の細分化のやり方には少し疑問を持っているこの癌治療は此処どまり!ではあちらに!こちらに!で!どちらに?と選択の連続が癌治療だとも言えるのではないか?これで良かったの?悪かったの?この先はどうなるの?と言う疑問を払拭してくれたのが義兄の人生の終い方だったかもしれない。夫に人生の終い方を教えてくれたのかもしれない。勿論、私にも教えてくれたと思っている。

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    • 癌の経緯②

      2012年9月ちょうど今から6年前である夫は健康診断で大腸の再検査となった再検査の結果は「大腸がん」だった診察室から出てきた夫が開口一番私に向けて発した言葉は「ビンゴ!」だった。当時、私の父が大腸がんの手術を3回し元気でいる経緯から当時の私達の見解は「早く手術をしてもらい癌を取り除いてもらおう」と安易に考えていた。この時どこか私の中で難病で苦しんだ夫の身の上に、これ以上苦しむような病が訪れる筈がない!と思い込んでいたようにも思う。2012年10月大腸がんの診断が下った翌月の10月夫は大腸がん摘出の手術をした。結果は概の大腸がんは摘出したがリンパ節に転移がある場合は再発の恐れはあるとの説明だった。リンパ節に転移はないかも知れない!そんな事はない!仮に転移をしても又、取り除いてもらうしかない!と、どこか安易に考えていたのだ。だって夫はもう十分病で苦しんできたのだからこれ以上病で苦しむはずがない。そう信じていたのかも知れない。そう思ったのにはもう一つ理由があった。同居していた私の父の事である。この頃の父はレビー小体認知と診断されており徘徊、妄想、悪夢、幻聴の症状がだんだんと悪化しており精神的に私達は追い詰められていてまさかこんな状況で更に夫が大腸がんの再発?転移?そんなことはいくらなんでもないでしょうと高を括くっていたのかもしれない。真剣に考える先がどこなのか?方向を見失うほど同時期に身の上に起きてしまったのである。とはいえなんとなくいつもいつも心はザワザワしていて平常心を保つ事が大前提であると念じていた。

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    • 癌の経緯①

      夫は十数年前に難病を発症したこの稀な難病を発症したことにより人生がガラッと変わってしまった。抜本的治療法はない!病院をわたり歩き難病難民となり最終手段の脳外科手術でなんとか普通の生活を取り戻せたしかし手術と引き換えに後遺症も残ったが夫はめげず挫けず図太い精神力を発揮していた。夫の口から泣き言は聞いたことがない。見事に職場復帰も成し遂げた。しかし癌を発症し末期に至ってはこの難病が本人の精神的な不安材料になっていたことは間違いない。稀な難病であり、あらゆる癌治療の展開予測が不明であると医師から言われるたび癌だけではないこの難病のことも考えて癌の治療選択をせねばならなかった辛かったと思う悲しかったと思うが夫は常に前向きで決して後ろ向きにはならなかった私に出来る事は夫を支えることのみ前向きな夫の横で不安を煽る事はしない日々の生活を淡々と過ごすと言う課題を自分に与えて過ごしていた。ただ夫は言っていた。難病の脳外科の手術をしたあとだった。「俺はもう大丈夫大丈夫だけどこんな難病になったわけだしこの先の人生は好きなことをして生きるんだ」と言っていた十数年前のことであるがその宣言通り夫は自分の人生の選択はすべて自分ファーストにシフト交換したことは間違いない好きなことをして全うしたと私は思っている。最終的には癌で亡くなったがぶれずに生きた生き方はなかなか真似は出来ないと思う長く患った者だけが知る人生の覚悟なのかもしれないと今は思う。

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    • ブログの継続の理由

      この場所で夫の事を書き溜めるのは躊躇もあった。他の場所で新たに・・・とも考えたが今となってみるとこのブログは元気だった頃の夫や父のたくさんの思い出が詰まった記録となってしまっている。なので、このブログは其のまま残しつつ継続することにした。そして少しづつ今迄の記録を残すことにした。しかしまだ以前書き残したブログを遡り読むことは出来ないでいる。思い出を読み返すには辛い作業なのである。今の私には当時の当たり前だった日々の暮らしが輝いて見えてしまうから。きっといつの日にかそんな事もあったと読み返す日の為に。そしてこの数年の書き残していない日々を書いて記録する。

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    • 初めてのお彼岸

      昨日は夫の月命日だった五ヶ月経ったんだまだ五ヶ月かぁと思いながらも昨日は仕事が長引き墓参りには行けなかった。なので本日、花を持ち墓参りに行ってきた。本日は彼岸の入りでもあり、お寺の境内には沢山の人がいた。夫は私の両親と同じ墓で眠っている。私が一人っ子で夫は三男である事もあり33年年前に私の母が亡くなったとき私たちも同じ墓に入れるようにと苗字が異なっていても入れる墓を其のとき建てた。そして3年前に私の父も亡くなり母が眠る墓に父も入った。夫には生前何度も確認をした。私の両親と同じ墓で良いの?と自分の親や兄弟と一緒でなくて良いの?とでも夫の返事はいつも同じ墓で良いよなんでそんな事を聞くの?と言っていたので夫も同じ墓に眠っている。自宅から車で15分の所に寺がある。その一角は緑が生い茂り森のようである。春にはたくさんの桜が咲き乱れ初夏には白と紫色の紫陽花が咲き乱れ秋には黄色く燃え上がる銀杏に彩られる美しいお寺である。このお寺が好きだと夫は言っていた。この寺に去年まで32年間元旦、春の彼岸、お盆、秋の彼岸となると欠かさず夫と私で花と線香と桶を持ち墓参りに行っていた。そして本日はお寺の境内中金木犀の香りとお線香の香りが入り交じり漂っていた。夫の墓石を撫でながら「なんで私一人で墓参りに来ているのかな?墓参りは毎年あなたと来るはずなのに・・・どうして隣にあなたはいないの?」とお墓に向かって言ってしまった。横を向くと墓誌に刻まれた夫の名前と戒名と亡くなった日付が目に入った。「そぉーかぁー此処に入っちゃったんだよね」と夫に私は話しかけてしまった。そう言えば今年の夫の新盆の時も同じだったな毎年、お盆には私の両親の迎え火や送り火をする役目が夫と私だった。だから今年の夫の新盆で「なんで私は夫の迎え火を焚き、送り火を焚いているのだろう?なんで?夫の?夫はいつも迎える側の人で送る側の人で火を焚く側の人で焚かれた火の煙に乗る側ではない人なのに私は何をしているのだろう?夫はどこ?」と一瞬だが頭が混乱した時があった。其の時の私と似ているなぁと思いながらも涙が溢れた。夫は近くにいるのかなぁ遠くにいるのかなぁと心の声が騒いだらすると「俺はここにいるよ」と聞こえたような聞こえなかったような気がした。そんな初めてのお彼岸の入りだった。

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  • 11Sep
    • 君なら出来る!

      ニュースではテニスの全米オープン女子シングルスで大坂なおみ選手が日本勢初の四大大会制覇を成し遂げた快挙な話題で盛りがっている。これまでの彼女の試合がたくさん映像で流れた流れる彼女の映像を見ていてあっ!と思った。其の場面は彼女をメンタル面で支えたコーチとの会話である。試合中、落ち込む彼女にコーチがかけた言葉「君なら出来る」と言った意味合いの言葉かけだったと思うが・・・私も夫からよく言われた言葉だったので物凄く反応してしまったのである。うちは夫婦なので君ではなくてお前だったが呼び名は異なるが意味は同じなのでとっても反応してしまったのである。夫は昨年の12月20日緊急入院をした。骨盤近くの大腸がんが骨に浸潤し激痛で自立歩行が困難となっていたこの入院から4月19日に亡くなるまでの四ヶ月間夫は自立歩行は出来ずベットの上だけの生活となってしまった。ここに至るまでの事は追々記録として残しておきたいと思うが今回は昨年の12月緊急入院をした時に遡るこの時、夫は生死を彷徨ったように思う。夫は朦朧とした意識の中で「お前は今まで何回も乗り越えてきたお前は強い!本当に強いんだよお前なら出来る!」と夫は私に言った。夫の急変に怯え狼狽する私に向けて永遠の暗示をかけてくれた。今はそんな気がしている。今までも何度も何度も夫から「お前なら出来る」と言われ後ろ向きな思考を立て直してもらってきた。私にとって魔法の言葉だった。この言葉は根底に双方の信頼関係があってこその心に響く魔法の言葉だと思う。大坂なおみ選手とコーチとの会話をうちの夫婦の会話と一緒に考えては申し訳ないがテレビから流れる映像を見てきっと信頼関係ができているからコーチからの言葉で彼女は自分を立て直すことが出来たのだろうなぁと思った。彼女はコーチのことを「彼をコーチに選んだのは本当に前向きで陽気だから。私にとって、すごく大切な要素」と語っている。私も然り夫は本当に前向きで陽気ですごく大切な存在だった。ここまで信頼できる人には巡り合えないと思う。夫から頂いた魔法の言葉は私に永遠の暗示をかけてくれた。この暗示を夫以外誰も解くことはできない。お前なら出来る!この言葉を軸に必死に自分を立て直そうと努力している。

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  • 10Sep
    • 訪問ドクター

      夫は抗がん剤治療はこれ以上出来ないホスピス若しくは自宅療養かどちらかの選択をして欲しいと1月中旬に入院していた大学病院の緩和ドクターから言われた夫は自宅療養を選択した。そして今年の2月より自宅療養となり自宅で4月19日亡くなった。その時お世話になった訪問ドクターから今日連絡を頂いた。「今日、奥さんの事が話題に上がり奥さんはどうしておられるか?と看護師と話していたのです葬儀後かなり憔悴されていたので皆で心配をしていました。もうあのご夫婦の姿は見られないんだねと皆で話したんです」とご連絡を頂いた。私は当時必死だった夫のためなら何でもしますそんな私の意向を汲んでくださり痰の吸引やら便の摘便やら点滴やら訪問ドクターと看護師から教えてもらい完璧ですプロ並みですよしかもこんな短期間にそのへんの看護師よりずっと上手ですよまるでご主人のプライベートナースですねと褒められた其の頃はお世辞だと解釈していた。自宅療養の場合患者家族は皆さんしているものだと!そう思っていたからだ。訪問ドクターの仰るお世辞は患者家族に対してのケアーだと思っていたでも自宅で家族や医師に囲まれて看取ることがまだまだ普通な事ではない事を後から知った。そして今日、訪問ドクターから連絡を貰い再確認した。この訪問ドクターや看護師さん達だったから私たち家族は夫を看取ることが出来たのだろう!と。今も尚私達夫婦を思い出してくれるそんな気持ちのある医療が私達を支えてくれたんだ感謝の思いで胸が熱くなった。

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  • 03Sep
    • 今の私を例えると

      今の私を例えると・・・。中島みゆきさんの歌に「糸」と言う曲がある。その中の歌詞で「縦の糸はあなた 横の糸は私織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない」とあるがこれに例えると今の私には縦の糸がない!暖める布を作りたくても縦糸がない!横糸だけじゃぁ布は作れん!困った~~~~~~!って感じです。はたまたこうも例えられる結婚して32年間人生の住み家を旦那と二人で積み上げてきた凸凹だったけど積み上げてきたしかし旦那を失い私はその最上階の32で一人残され梯子を外されてしまった思いがある最上階で私は右往左往している下を向いて誰かぁ~梯子を持ってきて~と叫んでも私の声は届かない雨が降っても風が吹いても真夏の太陽も旦那がいない今ダイレクトに直に私に襲って来るさぁどうするのだろう?最上階で右往左往する私は?ひとりで梯子を作りひとりで33・34・35・36・・・・とまた積み上げて行くしかないのだ暖かい布も横糸だけでは作れないからなんなら縦糸も私で・・・とも思う。縦の糸は私~横の糸も私~!私が織り成す布は暖かいのだろうか?疑問だ?!肌触りは悪いだろうな!とも思う。まっ以上が今の私を例えると・・・的な事で言うは易しだぁ!なんたって32年勤めた妻と言う職業まで奪われた訳だしそんなに簡単にぽっかり穴を埋められないし旦那がいない生活に慣れるわけもない日薬、日薬って言われるけど今のところ日薬の効き目は感じず副作用のみ感じる今日である。

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  • 31Aug
    • 夫の携帯解約

      夫の携帯を解約した。ずぅ-----っと解約できずにいた。夫の携帯を充電しておくとどこからかのメールの受信音がするのである。それが私がメソメソしている時やだらだらしている時や意味もなく夜更かしをしている時にぶぶぶーと鳴るのである。まるで夫が「いい加減したら!」とでも言っているようなタイミングで鳴る。何かしらで夫と繋がっていたい私にはその受信音を切ることは夫との通信が途絶えてしまうような気持ちなり夫の携帯を解約出来ずにいた。夫だったらどうするかしら?と考えてみた。「もう通信機能として使わないのにそれに1ヶ月7000円年間にすると84000円を支払う意味があるの?無駄に継続をしている意味がわからないそー言うのが一番嫌いだ」と言われると思う!そう言うに違いない!と思い夫の携帯を解約することにした。携帯ショップのお客様窓口で店員さんに手続きをお願いした。店員さんに「こちらで通信が遮断されますがよろしいですか?」と最後の確認をされた時思わず「ちょっと待ってください」と言いそうになった。夫は携帯を肌身離さず持っていた。大事に大事に扱っていた。その夫の携帯ともお別れなのか何だか夫との二度目のお別れの時のように思えた。返事に躊躇する私にショップの店員さんが再度「宜しいですか?」と聞いてきた。「あっお願いします」と聞こえなかった振りをして答えた。「こちらで解約完了致しました」とショップの店員さんに言われ解約の書面を頂、店を出た。何だかまた大切な物を失った喪失感が襲ってきた。頭では解っているのだ!感傷で無意味に携帯を継続する事が愚かで有る事は!でも、またぽっかり心に穴が空いてしまったのも事実である。悶々とぼぉーっとしながら電車に乗り、駅を降りたら晴天なのに雷の音が鳴り響いていた物凄い雷の音である。たった二駅なのにさっきの携帯ショップの方向を見上げると真っ黒い空だった。雨は一滴も降らず稲妻だけが鳴り響きまるで夫が夫の携帯の解約を怒っているか!と思ってしまうくらいの雷だった。私は心の中で呟いた。雨は降らないから泣いてはいないのね!怒っているのね携帯!大事にしていたものねこんな事を思いながら日々を過ごしている。私は夫が旅立ち取り残された思いでいる。夫と繋がっていられる気持ちになれる物ならば何でも良いのだ。私がいくら夫に問いかけても夫からの返事はない。ならば風でも雨でも雷でも太陽でも空の星でも月の光でもそれ等を夫からのメッセージとして受け取ったと解釈したいのである。それが例え愚かと思われてもかまわない。なのに夫からのメッセージ手段のひとつだった夫の携帯を解約した。大袈裟に思われるかもしれないが携帯の通信を遮断された時夫が旅立った時と似ていた。この先はない思い出だけの世界になってしまったと。

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  • 28Aug
    • 悲しみの扉

      今日は休みを利用して貯まりに貯まった事務処理をした。落ち着いたら近況報告をします!と言った方にも手紙を書いた。電話だと感情が入り乱れてまだきちんとお話が出来ない思いがあり一方通行の手紙にした。七枚も書いて読み返して結局、破り捨てた。破り捨てた理由はこの手紙を貰ったらきっと重いだろうなぁと、思ったから。しかし手紙を書きながら感情移入し過ぎて当時を鮮明に思い出してしまったのだ。自分で悲しみの扉を叩いてしまったのである。夫がいた頃を思い出しとても暖かい気持ちになったのと同じくらい夫を失った思いもこみ上げてきたこの扉を叩けば泣くから悲しみの渦に巻き込まれるからとっても残酷な気持ちになるから失った事の大きさをしるからなるべく扉を叩き開かないようにしていたが今日は扉を思い切り叩き扉を全開にしてしまった。きっと夫も私に思い出して欲しかったのかも!そう思う事にしよう!でも泣けて少しすっきりした。事務処理に気持ちを集中しなくちゃ

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  • 27Aug
    • 約束

      夫が亡くなる少し前私は、この先どう生きていけば良いのか判らないと夫に話した。すると夫は朝は早く起きること。朝昼晩と三食ちゃんと食べること。毎日お風呂に入ること。夜は早く寝ること。これ等を守ればどんな事も乗り越えられる。夫はそう私に告げた。優しい言葉でも歯の浮くような言葉でもなんでもないなんでもないが困惑する私に向けての夫らしい言葉だと思った。私はこの言葉を生きるための言葉とした。夫の生きるための言葉は生きる為の基本をしっかり行えここが崩れれば心も病み体も病むと言うことを伝えたかったのであろう私は夫と約束をした夫の生きるための言葉に従い実行する。と・・・。そして実行しているが心の中は空っぽのままだ。仕事は復帰した夫を亡くしたことを知らない人には何も変わらない私に見えるだろう普通に話すし笑いもする日常は戻りつつあるが心の中は空っぽのままであるどうせなら夫に聞いておけば良かったねぇあなたが居なくなって私の心は空っぽなんですけど・・・。と。きっと夫はこう答えるだろう当然だよしっかりしてよそんな事を言ってる暇があるならやるべき事をやれ!ダラダラするな!ってね。おおおぃ夫よ私、何とかあなたとの約束守ってます!

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