松岡少年剣道教室、竹本監督、離任。

新年より、仕事上の新しい任務地、再びのアメリカへ。

任期は3年間。

詳細が決定し始めた段階で、順に役員・指導陣に明かされ、

最後はご自身の口から子どもたちへ。


松岡少年剣道教室でご指導頂いたのは9年間。

福井県(旧)松岡町は先生が中央大学剣道部時代に出会われた奥様の故郷。

「剣道をやってみたい。」という息子君を伴ってふらりと

松岡小学校体育館を訪れて下さったことが全てのはじまり。

本当に、「普通の町のスポ少」だったのだそうです(笑)。

最初は、「楽しそうやし、こういうのもええなあ。」

 

と、思われていた先生だったのですが、時が経つにつれそれは、

かつて自分が少年・青春次代を捧げきった「剣道」。

そして、その瞬間こそが、その時代の子どもたち(現高校生)により現在も

「地獄」と称えられる(笑)、扉が大きく開いたその時であったのでした。



 

時間、場所はあらたまり「竹本監督お別れ会」。

レクリエーションに始まり、食事会のあとは在籍しいている子どもたち、

また卒団した高校生たち一人一人から先生へ贈る言葉。

思わず拍手が沸き上がる言葉から、涙を誘う言葉、

決意の言葉、感謝の言葉、言葉、言葉、言葉・・・。

そして、最後は竹本監督より。
(約20分のスピーチよりハイライトを抜粋。)

「(・・・次々に変化して行く世の中にあって)

みんなにはしっかりと、考える力を身に付けてほしい。

当然、勉強もしないといけないとは思います。

だけど、社会に出て一番大事なことというのは、

人と人とのコミュニケーション。

今回も、当然みんなとしゃべることも大事なんですけど、

この場を作ってくれたお母さん方とかパパさん方に

僕は凄く感謝してますし・・・(沈黙)、

本当に、やってきて良かったな、9年間やってきて

良かったなという・・・、思いがあります。

本当にね・・・(沈黙)、正直言うと、僕もやっぱり

親ですから、自分の子どもが一番かわいい。

だけど、二番目にかわいいやつは、

 

俺の息子以外のこどもが、全部かわいい。

 

ここにいてる(全員が)。

これだけは言い切れる。

今まで卒業した子らも全員そうなんやけど、

悪いけど一番にはなられん。ごめんな(笑)。(会場笑い)

でも2番目には絶対お前らが好きやから、オレは。

そこを忘れないでいてほしい。

・・・ちょっと嫉妬してる(笑)?(会場爆笑)

そやけど、ほんまに、僕の財産であって、みんながね。

だから、ちょっと3年間、見られん子もおるかも知らんけど、

今ここにいてる子は僕の財産であって・・・、

本当に良かったと思います。」



語られらたのはこれまで(表立っては!)恐らく誰も耳にしたことがない、

 

先生の飾らない言葉、子どもたちへの心からの想い。

 


 

最後は、記念撮影、そして団より記念品贈呈。

さらに、先生を慕う各々より次々渡される贈り物の数々。

「・・・オレ、昨日荷物、送ってもうたんやけど(笑)!!」

 

 


ここからはhirata、個人的に。

竹本監督が松岡にもたらして下さったものは、おそらく、ひとつ。

「真剣さ」(それまでが真面目ではなかったという意味では決してなく)

子どもたちが求めるものに手を伸ばそうとする時に、

それがどのぐらいの高さにあって、どれほどの努力が必要か、

それを想像ではなく経験として明確に説明できる、稀有な方でした。

そして、教え子の一人一人の心に小さな「火」を灯す名人でした。

その「火」をもらった子どもたちが何人も、「自分は足りない!」と

求めて松岡の外にも出かけて行くようになりました。

そしてその子たちが一人、二人とその年々毎のチームを引っ張り、

それまでの松岡では想像も出来なかった活躍を見せてくれました。

「勝つことは最終目標ではないけれども、本気で取り組む、

悔しい思いをする、考える、努力する、もっとやる、繰り返す。

その中でそれぞれ見つけて行くものが、それぞれの人生の背骨に

なってゆく。必ずしも報われることばかりではないかも

知れないけれど、その努力が、積み重ねた時間が、その子に

自ずと様々な進むべき道を与えてくれる。」

竹本先生の灯された「火」は我々残される指導陣の中にも燈々と

受け継がれており。そしてさらに続いて行く子どもたちへ、

その「火」を注いで行くことが出来るように、挑戦を続けて

行きたいと思います。

 

 

先生、行ってらっしゃい!!