何気なく、以前取り寄せた剣道日本のバックナンバーをパラパラとめくっておりました。

バックナンバーと呼ぶにはかなり昔のものなのですが、1989年2月号。
 


 

件のT先生を探せシリーズを探している時に(ややこしい)ネットの目録にありまして、

タイトルに惹かれて購入したもの。

 

特集、国士舘の剣脈。

正統派剣士を輩出しつづける”武の名門”の実像と歴史。 

おお。なんだかすごそうだ・・・。

 

(本当に、僕などは元々剣道界「外」の人間なので全くイメージ先行で、

それぐらいのレベルでしか分からないのですが、国士舘って・・・、凄そう。)

 

「実はあの先生は国士舘ご出身で・・・。」(凄いところから来られていますよ、というニュアンス)

「おお・・・。そうなんですか!」(よく分からないですけど、凄いことは伝わります!という相槌)
 

 

今回、それは本当に凄いな!と実感した記事がありました。m(--)m

 

抜粋した記事なのですが、国士舘大学生の剣道稽古について。


「一年生は切り返しばかり、午前も午後も。担当はボクだった。その切り返しも、

三尺八寸と竹刀を短めにして、左手が決まるようにした。一年生にはむやみに

長い竹刀を使わせないで、左手と左足を練るようにしたんです。これで本当の

構えができるんだね。

 

 二年生になると、かかり稽古を一年やる。待っていて当てっこをするのではなく、

気分の連続を練る、”先”の気合をね。ここまでが国士舘教育の特徴。これで

三年になると構えができるんだ。それで三年になってから地稽古に入る。だから

四年生あたりになると、グーッと伸びてくる。

 

したがって、四年生の稽古は遠間大技になってくるね。遠間に構えて、 互いの

剣先が触れるときには捨て身のメンがボカーンと出る。チョッとむずかしい

いい方だが、このメンは相手があっては打てない。ただ自分一人だけになりきる

絶対の境地だね。

 

 これで正しい剣道修業の第一段階は終わりなんだ。それからは悟後の修業、

更に参ずること三十年。剣道の修業は一生涯だからね。 

 

範士九段小川忠太郎」

※小川忠太郎範士はあの有名な全日本剣道連盟の「剣道の理念」、「剣道は剣の理法の修錬による

人間形成の道である」、を委員として制定されたお一人なのだそうです。


一年目、切り返し。
二年目、かかり稽古。

三年目、地稽古。

四年目、遠間大技の稽古。

 

正しい剣道修業の第一段階、終了。

 

俗にいう千日修業、一万時間の法則ではありませんが、

なんだかいいな、と思ってしまうのは僕だけでしょうか(笑)。

本当の修業、原風景と言いますか。
本来の剣道って、そういうところにあるのかも知れない・・・(やはりイメージです(笑))

子どもの剣道の勝ち負けに常に一喜一憂、右往左往している身としましては、

なんだかちょっぴり恥ずかしくなるような(笑)。

 

もちろん、30年前の記事ですし、今はこういうままの稽古はされていないのでしょうけれど。

 

遠間に構えて、互いの剣先が触れるときには捨て身のメンがボカーンと出る。

チョッとむずかしいいい方だが、このメンは相手があっては打てない。

ただ自分一人だけになりきる絶対の境地だね。

 

男子として憧れます。

 

・・・まずはアキレス腱の心配をしなくてはいけない己が恨めしいですが(笑)。

 

こういうことがあると、昔の剣道雑誌、全部読んでみたくなりますねー。

 

とりあえず、縁あって家に来たこの号、大事に残しておきたいです。(^-^)

 

 

 

 

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