最近はなんでもかんでも表現がオーバーじゃなかろうか。
『嬉しすぎる』、
『楽しすぎる』、
『辛すぎる』、
『ヤバすぎる』、
『怖すぎる』エトセトラエトセトラ。

とかく『過ぎ』がち。
その状態を表すのに、その状態を『過ぎる』のが表現として当たり前のようになっている。

どうなのかね、それは。

『楽しい』でも伝わる。
『楽しすぎる』でもいいけど。
もっともっとのときは?
『ほんまにマジめちゃくちゃ楽しすぎる』とか?

なんだかさ、子どもの頃のケンカの必殺技の『スーパー~ウルトラ~エクストリーム~ハイパー~パンーチ!!』みたいな。
とにかく頭にいっぱいつけろみたいな。

なんだかそれと似ているように思う。

『超絶』とかも意味が軽くなってるような気がする。

もちろん『過ぎる』場合も、『超絶』の場合もあるとは思うんだけど。

あ、あと『本当に』ね。
『コレ本当に美味しい~』とか。

『本当に』が『すごく』の意味みたいに使うのも気になる。

私もよく使ってるんだけど。


それで、話は戻るけれど、私はいま悲しすぎる状態にあります。
もうすぐ祖父が亡くなります。

本当に本当に悲しすぎます。

いつも『がんばりなさいよ』って応援してくれた。
春にはいちご狩り、秋にはお芋掘りに連れて行ってくれた。
泊まりに行ったらお小遣い。
お正月にはお年玉。
奄美に行ったら一緒に釣り。
魚の内臓を残したら『これが美味しい』って言って食べてくれた。
自分が食べたこともないカップ焼きそばを、最初は麺をシンクにこぼしてしまったけれど、次の週には上手に作ってくれた。
味の素入りの少し焦げた卵焼き。
鯛のアラのお味噌汁。
仕事で真っ黒に汚れた手。
パチンコでとってきたチョコレートのお菓子。

焼酎が好きで、奄美が好きで、人が大好きなじいちゃん。

だけどもう大好きな奄美の魚は食べられない、大好きな焼酎も飲めない、大好きな奄美の景色ももう見えない。

ゆっくりゆっくり小さくなる火が、いつか静かに消えるよう。

生きてるうちにもう一度だけ会いたいけれど、それは叶わなそう。
ごめんね。
じいちゃん。

だけどそしたら早くにお別れした奥さんにようやくまた会えるかな?
兄ちゃんに会っても、あんまり怒らんとってや。いや、やっぱ一発ぶん殴るくらいはいいかな?

定年になって、奄美に帰って、それで倒れたけれど、じいちゃんはその何年かすごく幸せやったよね。
奄美に行くたびに黒くなってて、笑っちゃうくらい黒くなってて。
本当に自分のためにお金を使わなかったじいちゃんが、兄弟と協力して建てた家に色んな人が来て、色んな人が飲みに来て。
人のために動いて、畑もして。

倒れたあと大阪からまた奄美に戻って、あんまり話ができなくなって。誰が誰だかわかってんのか、わかってないのか。
右半身がマヒしたけど、雨の日でも散歩したね。
右足を引きずるから靴が右足だけすぐに擦り減っちゃって、お母さんに怒られたね。『介護用の高い靴やのに!』って。
それでも、暑くて誰も外に出ない日も欠かさず散歩したね。
公民館の広場で座ったり、誰かの庭先で座ったり、防波堤のとこに座ったり。みかんを貰って帰ってきて『誰に貰ったの?』って聞いても『?』で。集落の道に、足を引きずった跡がない日はなかったね。
台風のときはさすがにお母さんに止められてたけど、玄関の戸を開けてほんまに散歩できへんか確認して、確認したけど玄関に座って待機してたね。
わけもわからん状態やのに、散歩だけはいつでもやる気マンマンやったね。
怒られても『やっちゃった』っていう顔で、笑って、大好きな焼酎もむせながら飲んで。
お母さんともう一度奄美に戻れて良かったね。

今はもうじいちゃんの目に光が届いているのかも、届いていたとしても見えるのは病室の天井かもしれないけれど、あれだけ毎日奄美の景色を見たからきっと目を閉じれば景色は広がるよね。
じいちゃん。

ありがとう。
ずっと味方でいてくれてありがとう。

いつかこんな日が来るってわかってたけど、やっぱり、どうしたって、すごくすごく悲しい。

悲しすぎます。


ぐじぐじブログですが、ここでだけぐじぐじ言わせてください。。だって自分のブログなんだもん。。。


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