いつの間にか息子が3歳になった。
赤ん坊の頃は、会話することも想像できなかったけど、
今では会話どころか、ママこれはこうするんだよ、と自分の知っていることを色々と教えてくれる。
まだまだたどたどしく話すことも多いけれど、
一生懸命言葉を探して自分の言いたいことを言おうとする姿はプライスレスの胸熱ものだ。
その姿を見るたび、毎回心の中で、「ぎゃーがわいい!!」と床を叩きながら悶絶している。
子供ってすごい。いるだけですごい。
そんな私が悶絶してるのなんて知らないうちに、あっという間に親の役目ごめんの年頃になるんだろうな。
そして、ババアうるせえ!とか言い始めるかもしれない。
そんなことになったら、このクソガキが!と鬼の形相で怒れるように、今からシミュレーションしている。
しかし練習しなくても、普段から大人気なくブチ切れる時は切れている。遠慮のかけらもなく。
朝の仕事前の時間など、息子がぐずぐずしている時にブチ切れる確率が高い。
親のタイムスケジュールに振り回されるなんて息子からしたらたまったもんじゃない。
私が息子の立場だったら、保育園に行きたくないと泣き喚くのは当然の権利だと堂々と主張するだろう。
子供には子供の考えがある。親の都合でなんでも決められちゃたまったもんじゃない。
そう頭でわかっているくせに、柔軟に対応できなかったり、スケジュール通りに進まなかったりすると、
すぐいらいらする性格である自分のことを、子育てを通じて嫌になるくらい知ることができた。
子育てで大変なことは、子供と向かうことのほかに、すぐ怒る自分や、それで自己嫌悪になる自分や、
許容範囲の狭い自分に、泣きそうになる程うんざりしながらも、これが自分なのかと認め受け入れることだ。
そしてなにも正解がない中、自分と子供の間でこれでいいのだという最善解を見つけなくてはいけない。
まあ最善でなくてもいいのだけど。
本当に自分のことを過信してはいけない。これに尽きる。
先日実家に帰った時も、私の姉の前で、泣き止まない息子にブチ切れた。
姉の子供は初めて見る私の怒りの形相に、ママ(姉)より怖いとおののいたようだ。
姉も私がいつも穏やかに息子に接していると思っていたので、あんな怒ったの初めて?と聞いてきたが、
旦那が、実は初めてではないんですね・・。ととても残念そうな顔をして、姉に私が普段から怒っていることを密告していた。
息子が1歳になる頃にコロナが流行り始めたため、
旦那の故郷にはまだ行けていないままだ。
旦那に「今年はギリシャに行く?」と聞いても、ウンともスンとも言わないが、
そのうちまた唐突に行く、と言い出すのだろうから、気長に待つとするかー。