国道7号線を大鰐温泉方面に右折し、弘南電鉄線とJR奥羽本線二つの踏切を渡り、三ツ目内川に沿って田園の中の道を西に進むと、道路右側に案内板が現れます。鳥居を潜り杉の老木が茂る階段の坂を進むと、前が開けり熊野神社の鳥居が見えてきます。銀杏、杉、桂の巨木があり、深い森の中に居土普門堂(観音堂)や熊野神社が祭られていました。
 
居土普門堂(熊野神社)
観音堂の創建は元和六年(1620)と伝えられ、当初は十一面観音が本尊であったが、後に千手観音に変った。観音堂の右奥に旧堂があり、山の神堂として部落の人々のいこいの場になっている。村の婦人たちには情報交換の最高の社交場といえる。都会人には想像もできないような自然に恵まれた理想郷。観世音に見守られた静かな境内。ここにいるだけで精神衛生上その効験は大といえよう。津軽の観音霊場の良さ、有難さはこんなところにあるまいか、と思う。ご詠歌=わがくにを めぐりめぐりて じゅんれいの めでたくかへる もとのいづちへ (平幡良雄氏書「津軽観音巡礼」及び境内案内板から抜粋させていただきました)
 
 
村社居土神社の一の鳥居と、杉の老木を通り抜け視界が広がる二の鳥居
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巨木が多い神社の境内、観音堂および山の神堂
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居土観音堂と内陣、施錠されていて隙間から撮影でした
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熊野神社拝殿と杉の老木「夫婦杉」
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樹齢700年のイチョウの巨木と境内奥のカツラの巨木です
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湯の街、大鰐♨の奥に位置する部落の観音堂でした。
次回は32番札所「苦木長谷観音堂」(熊野神社)を掲載予定です。
コメント欄はzzzさせていただきました。以上です。
 
 
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