弘前城は元禄12年(1699)に築城されました。
約200年後の明治29年(1896)~大正15年(1916)にかけて、石垣の修理工事をしましたが、昭和58年(1983)の日本海中部地震の頃から、再び石垣の一部で変位が大きくなり、孕み(はらみ)や天守閣の傾きが確認され、そのため天守台下の部分から東面中央部までの石垣を、約100年ぶりに解体修理する事になりました。
 
 
今春の弘前さくら祭りの画像。発掘調査のため桜が2本伐採されましたダウン
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先日(8/26)同じ位置から撮影。桜が切られたため天守閣がよく見えていますダウン
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平成25年から始まった発掘調査。近世(江戸末期まで)の生活面の遺構や近代(終戦当時まで)
以後の撹乱の状況に関する発掘調査です。現に井戸の跡が発見されていましたダウン
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天守閣に上り発掘調査エリアを上から見た画像。伐採された桜の跡が見えますダウン
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来春のさくらまつり終了後に天守閣は曳屋され、画面中央部の広場に移転されます
現在の天守閣を見られるのは来春までの予定です。
曳屋とは、建造物を解体せずに、そのままの状態で移動する建築工法で、「テコ」
と「コロ」の原理を応用した技術です。来年は曳屋工事の様子を見ることができ
そうです。約10年後の平成37年に現位置に移動する予定ですダウン
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来春、曳屋される天守閣。記念写真スポットですダウン
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100年ぶりの石垣修理の部分。画像左側へ10m、奥に100mの石垣を修理予定ですダウン
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東面の孕みの部分。素人目でも崩壊しそうに見えます
全ての大修理が完成するのは平成42年、約16年後ですダウン
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発掘調査、移設工事予定案内板を見学後、南内門を通り弘前城植物園に向かいましたダウン
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植物園の花々を観察したあと、東門を通り帰宅ですダウン
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平成42年に完全に修理事業が終了予定ですが、きっとその頃には・・・・・
今日の弘前市は晴れ、昼過ぎから曇り、夕方から雨予報です。    以上です。
 
 
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